どんなに占いに頼っても意味がないと思ったこと | 相続こころの整理術

相続こころの整理術

相続について知りたいけれど、落としどころの決まっている業者の説明会が苦手、士業への相談も敷居が高いという方に向けて、相続人に寄り添いながら、人生の問題として相続問題に向かい合います。終活で日々の暮らしを大切に、自分らしく生きることを目指します。

春休みが終わった平日、人出も落ちついたであろうと、お花のテーマパークへ。はらはらと桜の花びらが散るお庭を散策しました。

 

 

 

 

汗ばむ陽気で、園内の気持ちのいいスタバで休憩。

 

 

 

 

春を満喫できました。

 

HANABIYORI内のスタバ

 

 

さて、一般的に開運と聞けば、占いに耳を傾けてしまう人は多いと思います。

 

 

 

しかし、これでは意味がないなぁと感じたことがありました。今日は、ある占い好きの知り合いのあり方から、私なりに気づいたことを書いてみます。

 

 

 

その女性は、長年に渡って、いくつもの占いを学びながら、「行動しない言い訳」にしか使っていないのですもやもや

 

 

 

「今は積極的に動かず、静かに過ごす時期」・・九星気学だったり、カード系の占いであったり、何かしらの占いを理由にして、いつもそんな感じです。



ではなぜ、そう発言をしなければならないかと言えば、趣味人としての領域を超えた自慢をしてしまうからです。

 

 

 

その人にとって占いは、自分への自信を持つ根拠なのですが、一生仕事にするつもりはなく、ボランティアで行うのも否定。自己満足の世界を越えない立ち位置を好んでいます。趣味は趣味でいいのですが、周囲にとって、あり方がアンバランスなのです。

 

 

 

「名前出しも顔出しもしたくないし、陰の身でいたい。イベント出る占い師はちょっと・・。SNSの占いも所詮・・。」と、プロに対しても、自分がしたくない事はすべてダメ出しと低い評価を下し、前向きな言葉を聞いたことがありません。

 

 

 

これでは、占いが泣く・・と思ってしまった私です。

 

 

 

私個人、占いは、新たな視点を持ったり、気づきを得たり、前に進むために背中を押して貰ったり、謙虚な気持ちを取り戻したり、意味ある思考や行動につなげていくことに価値があると思っています。

 

 

 

一方、人の運勢・世の中の動き・時代を読むといった内容のためか、一度勘違いしてしまうと、傲慢さに支配されてしまうようです。

 

 

 

結局、究極なことを言ってしまうと、俯瞰して考えたり、自主的に行動できれば、占い依存で動けない人より、ずっと人生を切り開いていけるだろうと思いました。

 

 

 

体育会系の学生でしたら、次の試合の勝敗を占って満足し、その占いの精度を自慢して当日を迎えるよりも、今やるべき練習に集中する人の方が、結果につながると思っています。

 

 

 

運気は気になりますが、占いは使いようです。

(たぶん一流の占い師さんは、占いに対し、もっと謙虚で別次元の受け止めをしていることでしょう。)

 

 

 

いくら学んでも、自慢の道具で終わってしまっては、人の役には立ちませんし、自分の運気アップにもつながらない気がしました。

 

 

 

さて、終活も現実の行動の領域に入ります。

 

 

 

あなたはどちらを選びますか?
占い止まりで、何も変えない理由、行動しない理由を考える人。

自分の希望の実現に向けて、まずは何をしようかと、思考を始める人。

 

 

 

自分の将来を一番大切にできるのは、自分です。
自分らしいシニア生活、実現させたいですね。

 

 

 

 

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