5.21 昭和崩虚 | Electronic Dolphin Eats Noise

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空論上の九龍城

いよいよである。
http://www.unit-tokyo.com/schedule/2012/05/21/120521_ep4.php

金環日食との奇跡のシンクロ。



2010年4月22日、再結成の話題が飛び交い出してた頃mixiに綴った日記。



1996年4月号のSTUDIO VOICEの名特集“BABYLON 80s”に掲載された写真でその人を初めて見た。
ナム・ジュン・パイクを想わす(そのもの?)TVモニターを積み上げた壁の前でクールに佇む男。その写真の端には小さく“EP-4”と刻まれていた。
その男こそが“佐藤薫”だと知ったのはそれから幾分経てからだ。
当時はその写真に痺れつつも、その“EP-4”が何を表す記号で、その男が何者なのか調べる術が無かったのだ(時はケータイ/ネット社会黎明期)。

EP-4とはその佐藤薫氏が主催した、80年代の日本のインディーズ・シーンを語る際間違い無く外せない重要バンド。
なのに、その名前を中々目に・耳にしないのはあまりに情報が寸断・遮断されてしまっていたからに他ならない。
結成は1980年。京都にあったディスコ“クラブ・モダーン”の常連客を中心に。
何事にも造詣が深く策士でもあった(しかも美男子!)佐藤薫氏のコントロールの元、様々な才能を持ったミュージシャンの複合体であった彼らは、そのユニーク過ぎるコンセプトと活動スタイル、そして何より高く独創的な音楽性によって瞬く間に注目を集めたそうだ。
時代はNW真っ盛りの80年代初頭。誰もがユニーク且つ独創性のある創作を競い合ってた中で、残された記録を漁っただけでも彼らが飛び抜けて面白い存在だったのは一目瞭然であります。
1981年の京都でのギグ“アーバン・シンクロニシティ”、1982年に京都~大阪~東京を回ったツアー“エマージェンシー・ランディング”、そして今や伝説の1983年の凄まじい面子が参加したイベント“スキャンニング・プール”。と言った未だ痺れるネーミングのライヴの数々。
1983年の5月21日にメジャー&インディーズの同時アルバム・リリース(諸事情によりメジャー盤はリリース延期)。
そして、そのリリース直前に様々な場にバラ撒かれた“EP-4 5.21”ステッカーが捲き起こした騒動。
そのリリース日に12:00大阪~18:00名古屋~明けて1:00と4:30に東京と行われた(!)ライヴ。
当時日本で最も先鋭的なインディーズ・シーンを形成していたPASSレーベルと深く関っていた坂本龍一(当時の佐藤薫は若干ヴィジュアルが被っていた)との交流もあったり。
と、情報を知れば知る程その凄まじさの予感に悶絶し、これは聴きたい!と身震いしていたのでした。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~EP-4/EP-4-dark.htm
※より深く知りたければここを見るべし。あの香山リカさんの弟さんの作ったサイト。

が、私がそんな情報を得た90年代後半にはもう伝説の存在になっていた。
彼らの活動は80年代後半には途絶え、その作品のどれもが再発される事は無く・・・
中心人物の佐藤薫氏はシーン(日本からも?)から消え、音楽的な中心だった川島“BANANA”裕二さんは活動こそ多岐・多忙になれどEP-4について語ってるのを見かける事は無かった(と思う)。
まぁ、LPとかを必死扱いて探せば手に入ったんでしょうが・・・やっぱCDでの再発が望ましかったですよね~

そんな彼らの周辺がまた騒がしくなって来たのは2000年代も半ばになって。
2004年に『Shibuya Jazz Clash!』と言うコンピにEP-4の楽曲が収録され(これは後から知った)、翌2005年にはこれまたコンピ盤『Alt.Electro 80'JP』に、更に2006年にもまたまたコンピ盤『Technoloid』にと、ダムの決壊の如き収録ラッシュ。
個人的には『Alt.Electro 80'JP』が初EP-4体験でした。
初めて聴いたEP-4は・・・正直思ってた印象とは違ってましたね。
もっとノイジーでエレクトロな、言ってしまえば過激な音を想像してたのですが、解り易い刺激とは程遠い音で、ジワジワと忍び寄り気付けば周囲を包囲され逃げ道無く洗脳されるがままになる。な、何とも禁欲的な悦楽が盛られた音。
で、徐々に中毒の禁断症状が出つつある2007年にいよいよ唯一のスタジオ・フル・アルバム『リンガ・フランカ1-昭和大赦』が再発!!!
昭和大赦-リンガ・フランカ1/EP-4(渋谷ジャズ維新)

この『リンガ・フランカ1-昭和大赦』こそ上記した発売延期になったメジャー盤。
発売延期の理由は当初のタイトルだった『昭和崩御』が上層部で問題になってしまった為。だそうだけど、これはどこまで本当なんだろう?発売直前までレコード会社の上層部に知らせてないってのもおかしな話だしね。
まぁ、アルバム自体は後日タイトルを改題し(それでも“大赦”って・・・)、ジャケットを藤原新也さんの写真に変更し(この写真も実は・・・)発売された訳ですが。
ただ、そんなゴタゴタを知らないで聴いた方が確実に楽しめる。
何だかオドロオドロしいサウンドを想起して構えてしまいそうなんですが、実際はクールでストイックなエレクトロ・ファンクの隙間から豊潤な音楽性が見え隠れする傑作で、1983年の時点でここまでの先進的な音作りと、そしてあの時代やあの状況に溺れていない普遍性を共存させているのは驚異的でありましょう。

惜しむらくべきは、やっぱ数々の伝説がその本質を見え難くさせてしまっている事。
そしてメンバーのその後の活動(バナナさんは兎も角)やフォロワーがこの遺伝子を(表面的には)受け継いで行ってくれなかった事。
90年代にもっともっと聴かれ、語られるべき音だったなと。

因みに佐藤薫氏に関しては策士としての部分ばかりフィーチャーされて、音楽家としての評価を中々見聞きしないのですが、高度な演奏陣を巧にコントロールして自身の夢想する音へと導く様は、宛ら90年代のDJによる音楽制作を先取りしている様で、矢張り彼無くしてはこの音は成立し得なかったな、と。彼がいなかったらこの面子だとフュージョンとかやっちゃてたんじゃないかな?

ともあれ、今は音源が簡単に手に入る。
そして、再結成(てか解散はしていない筈)は近い。のか?
望むべきはカセット・ブックやソノシート等で配布された音源も確り再発され、その全貌がより明らかになる事だな。



さて、こっからもう早くも2年。
その間にあれよあれよとカヲルは(嘗ての沈黙が嘘の様に)数々のメディアに登場し(私も一度だけ遭遇する機会を得た)、旧譜やプロデュース音源を自身の仕切りで発掘しちゃうわ、いよいよ“5.21”は訪れちまうし・・・
この2年でEP-4や佐藤薫氏を取り囲む環境は随分変わり、色々と“伝説”で見え難くなってた部分もくっきりと霧が晴れた(が、更に見え難くなった部分も・・・)。
本人の口から当時の事をかなりストレートに聞ける様にもなったし、何より彼が関わった音源の殆どが一気に再発され手軽に聴ける様になったのはデカい。
そして、今までは分かり難かった90年代~2000年代に脈々と直接・間接的に受け継がれていたEP-4の遺伝子が一気に浮かび上がったってのが何より嬉しい。
残念ながら今夜のライヴは行けませんが、6・30には(Unit-3ではあるものの)きっと!