おちついて死ねそうな草萌ゆる(山頭火/一草庵) | ユーズドショップ e-cycle (衣サイクル)のブログ

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平成22年12月1日オープン!!
「家庭に眠る衣類(古着)を燃やさないことでの地球温暖化防止」に取り組んでいます。

12月5日(月) 水曜日まで、「雅楽多や」は定休日です。


「雅楽多や」は、「一草庵」の隣にあります。
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今はきれいに整備されていますが、この奥に「庵」があります。


「一草庵」は、自由律俳句の代表である「種田山頭火」終焉の地です。

「自由律俳句」とは、通常の俳句に見られる季語や五・七・五の決まりごとをやめ自由に読んだものです。


「雅楽多や」にも山頭火の資料がたくさんあります。

そこで、今日は、少し「山頭火」についてお話します。(「Wikipedia」参考)


山頭火は本名を、種田正一といい、山口県防府市の大地主の出身です。

11歳のとき、父が妾たちと旅行に行っている間に、母が自殺しました。このことが心の傷となります。

旧制山口中学から早稲田大学文学部に入学しましたが、神経衰弱のため中退しました。

その後、帰省し療養の傍ら家業である造り酒屋を手伝いました。

1910年(明治43年)結婚し一児をもうけました。

1911年(明治44年)荻原井泉水の主宰する自由律俳誌『層雲』に寄稿。

1913年(大正2年)井泉水の門下となりました。

1916年(大正5年)には、『層雲』の選者に参加。

その後、家業の造り酒屋が父親の放蕩と自身の酒癖のため破産し、妻子を連れ熊本市に移住しました。

古本屋を営むがうまくいかず、1920年(大正9年)離婚。妻子を捨てて東京へ出奔しました。

その後弟・二郎が自殺。

1923年(大正12年)関東大震災に遭い熊本の元妻のもとへ逃げ帰りました。

熊本市内で泥酔し、路面電車を止めたところを顔見知りの記者に助けられ、市内の報恩禅寺(千体佛)住職・望月義庵に預けられ寺男となりました。

1924年(大正14年)得度し「耕畝」と改名、味取観音堂の堂守となりました。

1925年(大正15年)寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅し句作を行ない、旅先から『層雲』に投稿を続けました。

1932年(昭和7年)郷里山口の小郡に「其中庵」を結庵したが、体調不良から来る精神不安定から自殺未遂を起こしました。

その後東北地方などを旅した後、1938年(昭和13年)には同町湯田温泉内の「風来居」、さらに1939年(昭和14年)松山市に移住し「一草庵」を結庵しました。


翌年、この庵で生涯を閉じるまでの山頭火は、日々、道後温泉を楽しみ、また、酒を楽しむ傍ら句作に打ち込みました。


「雅楽多や」には、地元の水口酒造が作った「一浴一杯」というオリジナルのお酒がありますが、これは、山頭火が道後のお湯につかっては酒を飲んだということにちなんだお酒です。


「昭和15年8月30日
午後は雨になった。秋雨らしく降ったり止んだり、しめやかでよい雨であった、おちつける。
道後へ出かける、一週間ぶりの湯である、一浴一杯、うまい/\。」(山頭火の日記より)


この「一浴一杯」を使ったオリジナルのジェラート「山頭火」を、「雅楽多や」で食べることができますよ。

アルコール分は1%未満ですので、お子様でも食べられます。

大人の方は、お好みでジェラートに「一浴一杯」を注いで食べることができます。


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雅楽多や(がらくたや)

松山市御幸1丁目438、電話080-2987-1129

営業 木・金・土・日 11:00~15:00



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