私が「営業としてやっていこう」という決意を固めた話を前回書いた。

その後のこの暗号会社の展開を記そう。


暗号技術が国のプロジェクトに採用されたことがトリガーになり、その後、電気メーカーやシステム会社等数社から出資&暗号技術導入の話が進んでいき、ベンチャー企業としては軌道にのりはじめた。営業の引き合いが多くなりどんどん忙しくなっていった。日本全国北海道から九州まで、大学・企業・自治体、ハード・ソフト・ネットワーク、地域も企業体も応用する範囲も様々なプロジェクトから声がかかるようになり、飛び回る毎日が続いた。


ただ財務的には、売上も徐々に上がるようになり出資で集めたお金もあったが、研究開発投資がものすごく一向に利益は上がらない状況だった。しかし、この頃ITベンチャーへの期待感が強く、利益が上がっていなくても技術やビジネスモデルさえあればIPO(新規株式公開)可能なムードになりつつあった。後から考えれば、ITバブルの前兆期だったと思う。


この頃から会社のムードがおかしくなってくる。

役員や中枢の社員は技術者中心・中国人中心で固められるようになり、営業や管理部門についても出資企業や証券会社から来た人たちが舵取りを行うようになっていく。僕のように古くからいた日本人や営業系の人の意見は通らなくなっていき、そういう扱いに耐え切れない人がやめるようになっていった。