世の中には、
「心」で弾くピアニスト、
「頭」で弾くピアニスト、
もうひとつ分類を作るならば、
「体」で弾くピアニストがいて
「心」で弾くピアニストは幸福でない日常を過ごしている人が多く、
「頭」で弾くピアニストはとても充実した日常を送っている人が多い。
なぜなんだろか、
どうあるべきなんだろうかというお話をすることが、最近ありました。
生命力にあふれたオケの音色に、
悲痛な、叫ぶような響きが突き刺さってきた
レオンスカヤとパリフィルの、グリーグコンチェルト。
この人は「心」のピアニスト。
前半と後半、シューベルトの小品集を印象深く、
曲と曲のつながり、全体の構造美がすばらしかったシフのリサイタル。
プロブラミングがとにかく最高。
この人は「頭」のピアニスト。
ミュンヘンフィルとルプーのモーツァルトコンチェルト。
常に天の上にとどまり輝き続ける音楽と、オケと指揮者を見る神々しいまなざし。
舞台の上のルプーを見るとき、ブラームスやサンタクロースとかぶる彼ですが、近くでみるとわりに恰好よく若かったです。
この人は本当に本当に、「心」のピアニスト。
現世の課題として「音楽を奏でる」ことを受け止めて表現し続ける演奏家。
「心」は「心」に行き着き、
「頭」は「頭」に行き着く。
しかし発信源が「心」であっても、「頭」であっても、「体」であっても、
生まれ出てきた美しい音楽に人々は同じように感動します。
そして演奏家の原点だって、もしかしてある時は「頭」から「心」へ、
またその逆へシフトしていることもあるかもしれません。
「日常生活は最低限幸福であるべきで、その上で音楽を!」
そんな私はやっぱり凡人だと思い知らされます。
しかし基本、「心」のタイプであり、「心」の音楽家に共鳴することが多々、長所も短所もそこから生まれている自覚があり… w;
素直に音楽に向かい感じ取る、気持ちを持ち続けなくてはいけないなと。
そして、悲痛な音楽には不幸を求め経験記憶するのではなく、音楽で浄化することは大切かなと思います。
・・・
こんな記事を書いてみたけれど、
機能的に「頭」「心」と分けることではなく、やはりフィーリングが一番大事。
明日はバレンボイムとベルリンシュタッツカペレオケのリストコンチェルト、一、二番。
わくわく、聴いてきます!!