世の中に絶対的な悪など存在しません。ナチスやISさえ絶対的な悪ではありません。
ナチスやISは、歴史の現段階において、もっとも「悪い」ことをした(している)集団にすぎません。
絶対的な悪というのはひとつのフィクションとしてしか存在しません。
そしてそれはたとえフィクションにすぎなくても、否むしろ、フィクションであるからこそ、人類にとって絶対にひつようなのです。
どういうことでしょうか?
第二次世界大戦以来、ナチスが絶対的な悪ということにされています。
第二次世界大戦後を生きるわれわれは、絶対的な悪などというものが存在しないことをちゃんと知りつつ、この虚構を受け入れています。
この虚構が戦勝国の論理によって作られた倫理観であることは言うまでもありません。
この事実もまた知らない人はだれひとりとしていません。
ぎゃくにいうと、戦勝国の論理に基づいているからダメだと批判しても意味がないということにもなります。
歴史修正主義はここに根拠を失います。
われわれは絶対的な悪というこの虚構を死守しようとすべきです。
なぜでしょうか?
この虚構の信憑性がなくなってきたとき、相対主義がはびこり、つぎの世界大戦がかならず起こるからです。
第一次世界大戦によって人類はこういうモードに入ったのです。
つぎの世界大戦を避けるために、人類は戦勝国の国民であろうと敗戦国の国民であろうと、同じひとつの虚構を共有しつづける義務があるのです。
さもなければ人類そのものが破滅を迎えます。
そして、この虚構を守り続けるために、戦勝国は他の国々の鑑であらねばなりません。
戦勝国が世界の国々の鑑であることをやめたとき、この虚構はたちまち失効します。
戦勝国は、世界の鑑たることという義務と引き換えに己の(偏った、とは敢えて言いますまい)論理を普遍的な論理として通用させることができるのです。
わたしが心配なのは、さいきんの戦勝国(アメリカおよびヨーロッパ)のあまりのふがいなさであり、敗戦国の犠牲となった国々(たとえば韓国)のあまりの傍若無人ぶりです。
これが敗戦国の国民であるわたしの偏った見方であればよいと切に願うばかりのきょうこのごろです。