(-。-;)/ 前記事にて、、、
瀧蔵神社~瀧蔵権現に、 (・_・;)
「毘沙門天様が祀られていたかどうかは定かではない~」
~と述べていたが、 実際には祀られていたよう。
現・瀧蔵神社の前身=「瀧蔵権現史」に遺されていた。 Σ(゚д゚;)
※「瀧蔵権現」の管理元は、👉 史跡-長谷寺。
記録に登場して来るのは、平安初期の西暦847年頃。
(桓武天皇 嵯峨天皇
の次の天皇の時代~)
(桓武天皇~嵯峨天皇の時代が最澄様、空海様の時代。)
『神仏習合制度』で瀧蔵権現=三社権現になった後、
後世に「毘沙門天」と「疱瘡神」を祀る―― と。
(摂社ではなくて、どうも本殿に、封印蛇神と一緒に祀られていたよう・・・ )
(「疱瘡神」とは、牛頭天皇様のことだろうか❓・・・ (-"-;A )
( ̄ー ̄; 神社の創建は伝承の域を出ないが、
祭祀はかなり古く、奈良時代以前から、
""蛇神成りすまし"" を祀っていたと思われる。
※▲鳥見山-大物主一党の分魂を。
ハッキリと歴史に登場して来るのは平安時代初期頃から。
そして「毘沙門天」を祀るには、
空海様の『密教』普及を経なければならないだろうから、
だいたい平安時代-中期以降~から。
・・・ まぁ、幾ら本殿に一緒に祀っても、
神仏は、宿敵、天敵たるクソ蛇神とは仲良く納まることはナイ――
いらっしゃるとすれば、本殿エリアの周囲辺り。
そして「封印」は中からでも外からでも破ることはできない。
つまり、「蛇神」は外に出ることはできない―― /// 禁禁 ///
(地上の人間の手を借りない限り。)
この「権現化」以前~
初期-瀧蔵神社にのさばっていた蛇神を「封印」するタイミングは、
""神仏習合"" =神宮寺・中宮寺による「権現化」の時。
🚩インド神界軍が入って来て、蛇神と戦いになって、
結果、蛇神が本殿域に「封印」された。 /// 禁
禁 ///
この時、人間が祀る以前に、既に「毘沙門天様」も来られていた。
(※参考 : 鞍馬寺霊宝殿より。)
(→その32に続く)