〔現・墨坂神社-拝殿前〕 ※宇陀市
「赤盾八枚・赤鉾八竿」~「盾」と「鉾」(ホコ)の本当の意味。
「盾」・「鉾」とは、あの武器の盾や鉾のことではない。
火災や戦乱で壊れるモロいものではない。
(「神社」も木材のログハウスなので焼失しやすい。 )
「盾」とは、エネルギーを打ち込む対象=ターゲットのこと。
大地や岩盤、磐座、山そのもののこと。
※墨坂神社の場合は、元宮の御神体山-▲鳥見山(宇陀市)そのもの。
※「黒盾八枚、黒矛八竿」~
穴虫-大坂山口神社(香芝市)の場合は、本殿背後の岩盤-磐座。
(その磐座は、神社のある小さな山と一体になっているから、神社がある小山と見なしても構わないかもしれない。 )
「鉾」(ホコ)とは、そこに打ち込む 楔 のこと。
( 蛇神の)エネルギーのこと。
(だからパワーストーンの原理にソックリかも・・・ (-"-;A )
要は~
1⃣ ある種のエネルギーを、
2⃣ 自然の固くて強度のあるモノに打ち込んで、
3⃣ 狙った効果を作用させること。
4⃣ 地上の祟神天皇様達が、その儀式を執り行ったから、 (。-人-。)/
5⃣ その地上の動きに乗せて打ち込み、
6⃣ それが確定してしまった。。。
単に、蛇神だけで山や磐座に打ち込んでも上手く行かない。
「天地」を徹す。
「天」から「地」、そしてまた「天」への循環~
地上の「人間」の動きを通して行うから、確定するもの。
🔻「赤と黒の呪縛内容」=★ゴルゴーン豊穣・生殖ライン★の切断。
実際に、最初に「墨坂」で祭祀が行われたのは、
▲鳥見山の麓。
地図で見れば、墨坂神社-社殿が向いている方向~
宇陀川の北側~ ちょうどローソンのある地域のよう。
ココで行って、蛇神が▲鳥見山に呪縛エネルギーを打ち込んだ―― という構造になる。
それから300数十年の月日が流れて~
1⃣ 白鳳時代辺りに、ようやく神社化し始め、
2⃣ 天武天皇が伊勢斎王-「大来皇女様」を派遣し、チェックさせて褒章した。
3⃣ このチェック内容を元に、奈良時代に、▲鳥見山から""神社の元"" を切り離して
遷宮――
この時から、ようやく神々の大きな反撃が始まった。
※少し後には、平城京で『大仏開眼供養』(極東国際博覧会)が行われ、
その背後で3神界の提携が行われた。
これで インド神界軍が入って来て、
日・支・印の3神界で、蛇神を掣肘し始めた。
(蛇神を駆逐、消滅させることはできなくとも、蛇神の思い通りにはいかなく
なった。)
※遷宮させたのは、恐らく、天武天皇と持統天皇の子供=草壁皇子こと、
後の義淵/ギエン僧正。
記録上では、「草壁皇子」は病で夭折したことになっている。(享年27歳)
あの時代に片っ端から ///対蛇神処置/// (=封印)を地上でできた人物は、この人しかいなかった。
飛鳥時代の大物、蛇神-大物主の分魂=蘇我馬子、、、
その本体ですら、寺に封印していた。 ///禁禁///
※既に封印解除、処置済み。
〔龍蓋池〕 ※龍蓋寺(=岡寺)/奈良県高市郡明日香村岡
(多分、「大津皇子の変」でショックを受けて出家、皇位継承者の資格を捨て、生き方を完全に改められた。。。)
(「出家」とはいっても、後の世の""出家"" の意味とは全く異なる。)
(当初は""ショック"" からでも、結果的に、地上から蛇神と戦う為の「出家」となった。)
(本来なら、母=持統天皇の代わりに天皇に即位されていた。)
(・・・九天玄女様の御分魂。)
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仮に、このような事態が起こっても、『皇統』には乱れも混乱も無かった。
※お粗末な価値観、解釈に拘る人、専門家からすれば、乱れや混乱に観えたかもしれないが・・・
(それは、その人の未熟、出来損ないによるもの。)
先に述べたように、『皇統』とは、「日本神界」と日本列島に住む人間との★契約★だから。
その★契約★を履行する代理が「天皇」と呼ばれているだけ。
(その契約の重みに耐えられるなら、誰が「天皇」になっても構わない、というもの。)
(「男か女か❓」というナンセンスなものは存在しない。)
(そもそも、神武天皇様が仕えていたのは、女王=女性だった。)
(その女王の命で、『神武東征』~出撃した。)
(それが後世~ ある時期から「天皇」と称されて今日に至っている。)
よって、『皇統』には、現代のような""男系"" だの""女系"" だの、
おかしな解釈は存在しない。
""男系"" 、""女系"" とはお粗末、不自然なものでしかない。
(恐らく、これは魔界化した「平安時代」の遺物だろう・・・)
本当に重要な事とは~
それが政務であれ、何かの役務であれ、運営であれ、仕事であれ、
それがスムーズに執り行われて進行して行くことだけ。
「男」か「女」か、、、ではナイ。
そのような『標準』は、どこにも存在しない。
かつて、意図的に、勝手に作られて、それが我が顔でのさばっているだけに過ぎない。
現代の日本が、そのような遺物を後生大事に抱え込んでいるのであれば、
""平安化"" している証かもしれない。
それなら、近い内に、かつての「鎌倉時代」の勃興のように、
旧きお粗末なものは断たれて捨て去られるかもしれない・・・
ボロボロとメッキが剥がれて、「信頼」が地に堕ちる事件の多発とは、その予兆かもしれない。
草壁皇子が朝廷を去られた後は、
母親が「持統天皇」として、
その次は草壁皇子の子供=「文武天皇」へ。
(コチラは本当に病弱で、若くして夭折。)
次が文武天皇の姉で「元正天皇」へ。
次が文武天皇の子供=「聖武天皇」へ。
「聖武天皇」も父親譲りで病弱だった為、
伯母-「元正天皇」が""太上天皇"" として補佐、
また皇后の光明子様も政務を補佐されていた。
要は、必要に応じて、必要な人々が動いて、中心になって政務を執り行っていただけ。
ココには、どこにも現代の様な、おかしな""男系"" だの""女系"" などの価値観、解釈は存在しない。
このようなシロモノは「伝統」にさえなりはしない。
平安の禍々しい""ゆで卵のお化け"" 達が勝手に作り上げたシロモノに過ぎない。
現代の専門家、識者達には、『皇統』など理解不能――
(平安の""ゆで卵のお化け"" の生まれ変わりではないかと疑いたくもなる。)
恐らく、彼等が跋扈できる時間は、残り少ないかもしれない・・・ (。-人-。)
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お次は、かなり遅れたが、「飛鳥の子宮と卵巣」について。
(・・・変なタイトル。。。 (-""-;) )
(→その16に続く)