(`(エ)´)ノ この章では、追って行くのも大変な「魔のコウモリ 🦇 」なので、
㌦ァァァァヽ(o`Д´o)ノァァァァ!! 🦇
フランシスコ・ザビエルの化身のみについて――
フランシスコ・ザビエルの化身 タレーラン
(ナポレオンの外務大臣で有名だった「二股 or 三又コウモリ」-タレーランのこと。)
※シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール
※イグナティウス・デ・ロヨラの化身 ⇒ ジョゼフ・フーシェの章でも名前だけ登場していた。
最後までシブとく、、、ナポレオンにしがみついて、
更にナポレオン没落以降も、
ジョゼフ・フーシェ=「魔のカメレオン」と共に生き延びた奴。
(さすがに遥々~海を越えて、日本神界下~戦国時代の日本までやって来ただけのことはある。)
(あ、今も生き延びて、バックのルシファー大天使様と共に、成仏軍団-天使界に復職されていらっしゃる ・・・ )
( The Professor の呼称は伊達ではなかった。。。 (-""-;) )
フランス革命から、第一帝政、復古王政、七月王政までの政治家で、外交官を務めてシブとく、、、生き抜いた。
(最後は駐イギリス 大使)
シャルルマーニュの末裔~名門貴族の家柄。
片足に障害を持っていた為、軍人だった父の後を継ぐことができず、
父の指示で聖職者の道へ~
神学校~、ソルボンヌ大学で神学を修め、修道院長の職に。
(=カトリック僧)
1779年に(カトリック)司祭に叙階。
イギリス国教会と同じく、フランス国教会主義的な、反教皇の急先鋒として知られた。
※フランス国内の教会を、教皇の干渉を排除して、君主の統制下におこうとする国家教会の動き。
一族の影響力によって順調に出世し、
1788年、ルイ16世によりブルゴーニュ地方の司教に任ぜられた。(栄転 )
1789年に三部会の第一身分(聖職者)議員に選出。
自身が司教でありながら、
★「教会財産の国有化」★という▲反カトリック教会的な政策▲を推進。
1790年、国民議会議長に選出されると共に司教職を自ら辞職。
※同時に、ローマ教皇ピウス6世から、それまでの反カトリック教会的行為を咎められて破門――
フランス革命前夜~ もはや「破門」など、どこ吹く風 ~のようなものだった。
革命開始後、、、「キリスト教廃止」、「カトリック廃止」運動と政策が登場してきた時代。
社会運動だけではなく、政府の「政策」として――
しかも、その中心メンバーの中には、
かつてカトリック系の学校で学んだ、或いは司祭だった、
そういった経歴の持ち主がゴロゴロいた。
(参考までに、強敵を倒す時は、外からではなくて、身内、中に侵入して、内側から喰い破る・・・)
(現代でも有効な、進化した戦争形態の一つ・・・)
(こうすれば、殆ど誰も旧時代の、記憶に残る「戦争」とは気が付かないかもしれない・・・)
(ロシア、支那中国、北朝鮮、アメリカ、イギリス、フランスなどの最有力候補群がそうならないとは限らない。。。)
1792年に外交使節としてイギリスに派遣。
フランスでジャコバン派による「恐怖政治」 が吹き荒れたので、 (゜д゜;)
そのままアメリカへ亡命~ ε=ε=ε= ヾ(゚m゚;)ノ
1796年 フランス に帰国。(恐怖政治は、1974年で一応終了、、、)
当時、愛人だったスタール夫人の推薦により総裁政府の「外務大臣」へ。
(1799年に辞任)
〔スタール夫人〕
(終生~ナポレオンとは敵対関係にあった。 現在は、確か、、、日本神界在・・・)
新大陸アメリカへ亡命していても、愛人をつくれるそのパワ~
(やはり「魔の🦇 パワー」は半端ナイ。 )
ナポレオンのブリュメール18日のクーデターの陰謀に参加。
成立した統領政府で再び「外務大臣」へ。
この時期は、ナポレオンから高い評価を得ていた。
ナポレオンの皇帝即位後は侍従長も兼任。
(近くには、ナポレオンの私生活まで監視していた、あのフーシェ=ロヨラの化身までいた ~ やはりダチ友。 )
1807年に外務大臣を辞任。
※ヨーロッパ列強の勢力均衡を図ろうとするタレーランの考えと、
ナポレオンのヨーロッパ支配の拡大戦略とが相容れなかった、とされる。
(これと類を同じくするものが、金貸し、金融を新兵器として活用した、かつてのナポレオンのスポンサー=マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドかもしれない。)
(マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドも、避難先の「バルセロナ地底魔界」で浄化・成敗されて風穴送りになった。 )
警察大臣ジョゼフ・フーシェと共にナポレオンの失脚を画策。
(魔のカメレオンとコウモリの提携)
※「ロシア遠征」前に、使者としてサンクトペテルブルクに派遣。
ロシア皇帝に、「ナポレオンの言う事を聞かないように」とそそのかしていた。
1814年、ナポレオン失脚。
(エルバ島へ流刑・・・すぐに脱出して復活したが))
連合国に請われて臨時政府の代表へ。
ルイ18世の即位後は再びフランスの外務大臣となり、ウィーン会議に出席。
※ナポレオン体制後のヨーロッパ列強会議。
※この会議では、「正統主義」を唱えて列強の利害対立を利用し、
巧みな外交手腕でフランスの国益を守った。
1815年、復活ナポレオンの百日天下の後、一時首相へ。
過激王党派に (# ゜Д゜)∂ あ?
フランス革命期の政治活動を非難され失脚。
1830年の7月革命~ ルイ・フィリップ※の即位に貢献。
この年から~~~1834年までイギリス大使を勤めた。
※晩年の職。
※ルイ・フィリップ : フランス革命時、コウモリのように動いていた、
「オルレアン公」の長男。
〔父親のオルレアン公_=ルイ・フィリップ2世〕
(この「オルレアン公」も、 フランス革命を舞台にしたアニメで良く出て来る。)
(※『ベルサイユのばら』より)
「オルレアン公」は、王妃マリー・アントワネットを盛んに中傷し、
その政敵であったことでも知られるが、 (´_ゝ`)クッククク・・
最後はギロチン処刑死―― (1793年11月/ロベスピエール達の前年)
(ッタク、、、この魔のコウモリ 🦇 、、、アチコチ~パタパタと飛び回って紹介するのも大変だった。。。 (`Δ´)/ )
( The Professor ザビエル様、聞いていらっしゃいますか❓・・・ 要約してアップするだけででも大変だったのですがネ。。。 (`ε´)/ )
🦇
魔のコウモリ は、 🦇
1⃣ 名門貴族の出~
2⃣ カトリックの司祭で、
3⃣ それで出世し、
4⃣ 政治家に転職したら司祭を辞職&(同時に)ローマ教皇から破門されていた。
(別に痛くも痒くもなかったようだが~ )
次章では、もう少し時代背景を補足しておこう。
(キリスト教~カトリックの神=「GOD」に代わる神、=「概念」が登場してきた時代なので――)
(日本人の先祖伝来のオツム、頭で理解できるかどうか不明ながら・・・)
(蛇足ならぬ、、、🦇 の足ついでに~)
( Youtube )
■In the Temple Garden ※1m48s
(→その85に続く)