初代ニギハヤヒ-大年命様は、これらの白人系の海洋民族を御眷属にされていた。
彼等の別名を「長髄族」とも~ (足が長い民族の意)
よって、2代目ニギハヤヒ-長髄彦様の「長髄」は少し追記訂正が必要になる。
※長髄彦 : 登美能-那賀須泥-毘古(とみの-ながすね-びこ)とも。
●日本神話に登場する人物。
●神武天皇に抵抗した大和の指導者の一人として記されている・・・
(実際には、神武天皇様が大和に入られた時には、2代目ニギハヤヒ-長髄彦様は大和を追い出されていた。
)
●「登美」(とみ)は、初代ニギハヤヒ-大年命様が拠点を置かれた▲三輪山のすぐ南隣~ 現-「等彌神社」地域の“トミ”由来。
最初に存在したのは「音」=発音。
後世~ 奈良時代になって、漢字が精査されながら当て字された。
神武天皇様は、一度、女王ヒミコ様の大和・出雲行幸に臣下として随伴されていたので、大和の長髄彦様と鏡女王様とは知古の仲だった。
(変な画像の組み合わせだが、分かりやすくする為に ~ (^▽^;)
)
海の航路、大和の地理も熟知されていた。 (^O^)/
古代の日本列島+(お隣)半島+南方=★出雲帝国★の中の日向・矢馬台国、大和の位置付けも把握されていた。
だから、何の経緯もなく、勝手に兵を出して、“数年もかけて”大和まで進攻されるなどナンセンスな事はなかった。
(明確な大目的の下、計画、戦略の下に実行されたもの。)
(国家の首都が危機に陥った時の、救援に向かった緊急部隊と同じ。)
既に過去記事で何度も紹介してきたが、
「神武東征」の命令者は矢馬台国女王のヒミコ様。
(この有名な女王様も、ギリシャか地中海方面のハーフの家系だった。)
(さすがに支那の正史に、その外交と共に記録されていては、日本古代史の学会も存在を否定できないという可笑しさ。。。 )
(古代の天皇に関しては、その存在すら否定するのに・・・ ( ̄_ ̄ i) )
理由は、★出雲帝国★の中枢=首都だった現-島根県松江市地方の状況がおかしくなっていたこと。
正式な使者を3度出しても音沙汰ナシ・・・
(3度目の使者への催促は、「雉の鳴女」射殺となって返されて来た。。。
)
そして、同時に、初代ニギハヤヒ-大年命様が帰省された四国-伊予が正体不明の敵に攻め込まれて、乗っ取られていたから・・・
海神族が活躍する世界~ 目と鼻の先の瀬戸内海の異変は真っ先に察知されて伝わっていた。
だから本隊=「出雲の国譲り軍」は、まず首都だった島根県松江市地方に向かわされた。
女王のヒミコ様の直属の幕僚~ウガヤフキアエズ命様の子=神武天皇様は、瀬戸内海、四国方面へ派遣され、そのまま東進して大和まで行かれることになった。
神武天皇様が大和に入ろうとされた時、
〔参考 : 縄文時代の大阪府の地形〕
※河内湖の形状は変化するが、恐らく西暦200年代でも、この地形は変わらない・・・
(大阪城の周りを埋め立てて陸地、街になったのは、豊臣秀吉様の時代。)
既に、大和の長だった2代目ニギハヤヒ-長髄彦様は、大物主と三穂津姫の策に嵌って追い払われていた。
(^-^)ノ~~
(正確には、命からがら脱出されて、
京都盆地経由で若狭湾方面へ~ )
(→その25に続く)