既にこれまでアップしてきたように、
▲山神-大山祇命神様の娘、神大市姫神様と、その夫君-素戔嗚尊様が始まり~
これが現在の四国開拓史の始まりとも云える。
※これだけでも、後に付けられた伊予の「伊」に相応しいと言えるかもしれない。
〔 「伊」の象形語源〕
(本来なら白川静-博士の『字統』なども活用したかったが、手元にないので、手抜きしてこれはパス ~ )
既に(その124)のトップで示したように、日向・高千穂一帯~佐田岬半島~伊予~大三島~周辺の本州あたりは、▲山神-大山祇命神様のテリトリーだった。
もう一つ、具体的に示しておけば、伊予を象徴的に示す「高縄半島」~
現在の地域区分としては、愛媛県-今治市、西条市、東温市、松山市にまたがっている。
その中心、最高峰の▲『東三方ヶ森』(ひがしさんぽうがもり)※は、伊予における大山祇命神様の御神体山。
※「森」と付いているが、れっきとした1000m級の▲山▲である。 (標高1233m)
(・・;)
「大山祇神社」がある大三島のほぼ真南 に位置している。 (・_・;)
※高縄半島周辺に暮らす数十万人の水源池となっている。
(*_*) この山自体には何も目ぼしい物件は無い・・・ (遠くからでも目立つ程度 )
但し、この山系~周囲の楢原山、高縄山~大月山、福見山、明神ヶ森などには、いろいろ訳アリ物件が取り巻いている・・・ (-""-;)
既に、神大市姫神様と素戔嗚尊様の代で、▲『東三方ヶ森』を中心とした、高縄半島の海に面した狭い平地は開拓されていた。
(現-松山市・東温市とは反対の西条市の方まで開拓の手が回っていた。 船を使うので当たり前かもしれないが ~ )
神大市姫神様と素戔嗚尊様の本拠地は、旧-北条市を含む現-松山市だったが、現在の今治市~西条市などの北側、東側も開かれて拠点が置かれていた。
※集落→村→町(街)化。
次に、日向・高千穂からニニギ命様-天孫降臨部隊の“インフラ整備”部隊が訪れ、開拓を促進して行かれた。
※『ニニギ命様-天孫降臨伝説』とは、 地上の人間としての歴史の事。
(だから、ニニギ命様の『御陵』候補で、地上で競っているでしょう?~ 神界の事なら、御陵=墓なんて不要 ~ )
「天照大御神」に関しては、これは地上では無理・・・
地上で生きている内は、何人と云えども、「天照大御神」にはなれないよう・・・
邪馬台国女王-ヒミコ様在位時の◎天照大御神様◎は、
(-""-;) 確か・・・ 「オオヒルメ」 という御方だった。
「オオヒルメ」に「ヒルメ」・・・他いろいろな御方がいらっしゃるようなので混乱しやすい。(@_@)
しかし、全て~地上を離れた神界の事になる。
(『記紀』は数千万年~億単位の膨大な時間の情報を圧縮しているので、真面目に字面で読むと落とし穴に落ちやすい。 だから、編纂者達も「神話」と「歴史」に分けている。)
『天岩戸』開閉時は、一度九州は地殻変動で壊滅した。。。 ( ̄□ ̄;)!!
(人間なんて、、、99%くらい住めない島に・・・ )
初代-◎天照大御神様◎がシェルターに避難されてしまったので ・・・ (><;)
※町(街)→「市」に昇格のようなものか ・・・
※ニニギ命様・コノハナサクヤ姫様と、神大市姫神様は親族になる。
ニニギ命様-天孫降臨部隊は最初から四国の険しい山岳地帯などには入られない。
(山岳地帯を開拓してもどうしようもないでしょう ~ )
だから伊予の開かれた処を起点として、海岸~平地の箇所を通って行かれたよう~
だから伊予の次は「讃岐」になった。
※「讃岐」は、古代からの瀬戸内海-海上交通をベースにして、本州~因島、尾道-向島、吉備との交流から開かれていたよう・・・
※当然、伊予とも繋がっていた。
※ニニギ命様-天孫降臨部隊の先導は、神大市姫神様と素戔嗚尊様の子供達と、猿田彦命様・アメノウズメ命様により~
そして讃岐の次が「阿波」~
※上記の地形図をよく眺めてみれば良いでしょう。
古代は海岸線の位置が現在より変わっていたとしても、「阿波」の独特の地形~
古代の人々が住む、定住するとしたら、最初にどこに住むのか ~
(→その137に続く)