※本来なら、このような検証不可で、勝手に広まっているような話題は放っておいても良いのだが、趣旨が「幽界」から大正天皇と皇后をサルベージしなくてはならないし、大正天皇と皇后そのものが“大正15年”と非常に短いので、一般的に印象が薄い・・・
その為に、敢えて、神界の御協力の下に、一つ一つクリアにして行っている。
サルベージする=引き上げる為には、そこに覆い被さっているドス黒いモノを剥ぎ取らなければならないから――
ということで~
∑ヾ( ̄0 ̄;ノ Σ(・ω・ノ)ノ! ・・・ 「大正天皇には子種が無い ・・・ 」
では、少なくとも4人の子供=宮様たちは誰の ・・・・・・ ((゚m゚;) ヽ((◎д◎ ))ゝ
( ̄_ ̄ i)
本当は、このような情報が出て来ること自体がおかしい・・・ (と思いませんか?)
※人間の体・健康状態~超“個人情報”でしょう・・・
(-。-;)/
皆さんが病院に行って診断を受けた、健康診断を受けたとして、ある日その個人情報が一般に出回っているとしたら ・・・
由々しき事態でしょう。。。
((o(-゛-;)
それに、誰が、どのようにして、このような情報を得たのか
(まぁ、一般的にそれを知りうるとしたら、御典医の医者しかいないでしょうけれど―― )
それに―
仮に大正天皇が体質的に子供がつくれないのなら、皇位継承権のある皇族からでも養子をとれたでしょう。
(皇位継承権のある皇族・華族は既に紹介済み。特に「伏見宮」家からは、明治期に多くの華族が出ていたから~ )
皇后からではなく、側室から誕生した男子を皇太子に付けても、それは公式にオープンにされてきました。
※大正天皇自身が、明治天皇-皇后からではなく、側室の柳原愛子から生まれた人物でした。
(何しろ、皇族であるか否かを問わず、一般的に生まれた子供の夭折は、まだ珍しくもなかったから・・・ )
明治になって、皇室をオープンにして世間に知らしめる為に、「皇室広報」のようなものが考えられたようだが、同時にそこに介入して情報を歪め、或いは捏造して流す者が現れた・・・
明治天皇~大正天皇を妬み、嫉妬する者たち・・・ ((o(-゛-;) (-_-メ (  ̄っ ̄)
噂話、ヒソヒソ話しで流せば、後は勝手に広まってくれると
~ ///
(´_ゝ`)クッククク・・
しかし、それを仕掛けた相手が悪かった・・・
(大正天皇の虚弱体質を甘く観たのか?・・・ )
それに貞明皇后は子供の頃から田舎の農家育ちだった。 (*^o^*)
華族らしいお嬢様育ち、なよなよした華族女性ではなかった。
だから、華族社会しか知らなかった昭和天皇の皇后-香淳皇后に対しては厳しい面があった。
〔昭和天皇の皇后-香淳皇后〕 ※1928年(昭和3年)即位の礼にて
※38歳-戦時中
※久邇宮家の出身、母親は島津家の出身。
※あの魔人-東久邇宮稔彦王は叔父の一人。
大正天皇 & 貞明皇后~ 怖い神様の御分魂であるとも知らずに・・・
(その背景からすれば、必然的に大正天皇と貞明皇后は一緒になる―― と云える。)
昭和天皇を含む、4人の宮の父親は誰 ~という興味をそそるような話題を提供
~
(日本人社会は“井の中の蛙” 社会なのでヒソヒソ話し、噂話、風評を好む、自覚なきイヤらしい一面がある。)
ハイ、しっかりその関係-風説も準備してありました。
(だいたいが、その方面では有名な“噂” ~ それが現代では、さも実体があるがごとく、本・動画・ネットで拡散して行く~~~ )
『貞明皇后が、複数の男と関係を持ち、子供が生まれました―― 』
以下、その風説内容~
写真を比較して似ている、似ていない― というのは論外です。
(こんないい加減、適当な見方はないでしょう・・・ これしきでネットで楽しむ?、騒ぐのも論外―― 風評・風説の伝言ゲームをやるのと同じ。性根が悪質かも― ヾ(▼ヘ▼;) )
※どうしても ~ というのであれば、、、
DNAk鑑定でもやってください。
但し、検証する時は、自己のあらゆる期待・先入観を無にすること――
(その浅い、浮ついた、雑多な意識が、検証プロセス、結果を左右しかねないから―― )
人間の視覚、聴覚もそうですが、「いくら目の前で見た~ 」 と云っても当てにはならないことは分かりきっています。(警察の捜査、裁判所の法廷などでよく生じているでしょう。)
同じ親から生まれた子供でも、長男・長女・次男・次女~ 往々にして、親のどちらかに似ている、似ていない― というケースは多々あるでしょう~
孝明天皇と明治天皇の写真を比較しても良いでしょう。
※個人的には、自分には、よく顔付きが似ている感じがしますが・・・
( “その感じ”・・・ 当てにならないでしょう )
〔孝明天皇〕
明治天皇の元の写真は(↓)
海外の反応は、「素晴らしい帽子だ」、「あの帽子が欲しい」とか―
さて・・・
昭和天皇の父親という“噂”
西園寺八郎
旧-長州藩主_毛利元徳の八男-毛利八郎のこと。
〔毛利元徳〕
※ 大河ドラマ『花燃ゆ』で、この方々(↓)の子供の一人。
〔毛利元徳(三浦貴大さん) & 毛利安子(銀姫)-田中麗奈さん〕
伊藤博文・井上馨らの仲介により公爵-西園寺公望の養子となった。
〔西園寺公望〕 ※明治~昭和初期の大元老。
その後ドイツのボン大学に留学した。
1906年、養父-西園寺公望の長女「新」と結婚した。
養父-西園寺公望がヴェルサイユ講和会議に全権特使として渡仏した際は、妻と共に随行。
最後まで昭和天皇に仕えた。
1946年(敗戦の翌年)7月他界。
※長男-公一は▼ゾルゲ事件▼に連座した際に廃嫡。
西園寺八郎は政治家というより、宮内庁の官僚のような人物。
だから昭和天皇の実父として、うってつけなのか ・・・
しかし・・・
西園寺八郎のバックは誰なのか ・・・
( ~(-"-;A 悲鳴が聞こえてくるやも・・・
)
西園寺八郎 現-宇佐大神界の黒田官兵衛こと、黒田如水様の御分魂。
※当時は、黒田如水様は菩薩界目指されて修行中でした。 (。-人-。)
次男-秩父宮-雍仁親王の父親という“噂”
東久邇宮-稔彦王
プラス
四男 ⇒三笠宮-崇仁親王の父親という“噂”まで~
東久邇宮-稔彦王~
この人物~もう懲りないくらい・・・ 何度も登場しています。 A=´、`=)ゞ
(神様でもないのに、自分の記事で登場ランキングの高い人物は、、、だいたいロクな奴ではない―― アメリカのウィリアム・マッキンリー第25代大統領などと良い勝負・・・ )
皇室-風評・風説の中心的位置にいた人物。
大正天皇-崩御に接しても、なかなかヨーロッパから帰国しようとしなかった皇族。
(自分が上だというプライド、本当の京都からの皇位継承権を持っているという自負 ・・・ )
貴族院議員、陸軍航空本部長、防衛総司令官、内閣総理大臣、陸軍大臣などを歴任しながら、頭の中身は支離滅裂だった・・・ (@_@)
自力での生活能力はあまり無し・・・ (´_`。)
三笠宮と同じく、東京地底魔界の主の分魂だった。
三男 ⇒高松宮-宣仁親王の父親という“噂”
近衛文麿
※西園寺八郎の義理の父-西園寺公望が期待して政界で育てた人物。
(結果的に・・・ 期待を裏切った。。。 )
※この構図は、⇒豊臣秀頼様 vs (関白だった)豊臣秀次
「西園寺八郎」以外は、東京地底魔界にいて成敗された、あの面々ではないか・・・
(→その19に続く)