近衛文麿 ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
「そ、そんな・・・ 」
(-。-;)/
ハイハイ、東久邇宮の下で使われていたボンボン(?)皇族・・・
※★五摂家★の近衞家の第30代目当主、後陽成天皇の12世孫~ ということで皇位継承権はあったもよう・・・
※12歳にして襲爵し近衛家の当主となるが、父が残した多額の借金をも相続することになった。
※学習院中等科の一学年上には、後に「宮中革新派」となる木戸幸一や原田熊雄(西園寺公望の秘書)などがいた。
※哲学者になろうと思い東京帝国大学-哲学科に進んだが飽き足らず、マルクス経済学の造詣が深い経済学者の河上肇や被差別部落出身の社会学者・米田庄太郎に学ぶため、京都帝国大学-法科大学に転学した。
〔京都大学教授-河上肇〕
(言っちゃ悪いが、とても経済学者の顔ではない・・・ カバ面というか。。。初期の日本共産党に入党し監獄行き
///(x_x;)/// ・・・ 但し、トンデモ分魂の主でした。
)
アチャ~人は見かけによらず・・・
この御仁(↑)・・・ 今、どこにいるのか
罰霊界か幽界か ・・・ 共産党員で、いろいろ警察沙汰になっていたので―
(トンデモ ~ 仏界あたりで修行されているみたいですよ (。-人-。)
、ちゃんと有名-御立派な監督
付きで・・・ (@_@)
)
いずれ、「日本近代史」の項にて~ ( ̄_ ̄ i)
近衛のヒゲおじ様~
※マルクス経済学-河上肇との交流は1年間に及び、彼の自宅を頻繁に訪ね、社会主義思想の要点を学び、深く共鳴している。
※三度にわたり内閣総理大臣に指名され、第1次近衞内閣、第2次近衞内閣、第3次近衞内閣を率いた。その際に、外務大臣、拓務大臣、農林大臣、司法大臣などを一時兼務した。
※部下というか協力者に、「マッカーサーを叱った男」として有名な「白洲次郎」もいた。
⇒恐らく、イギリス魔界の代理人。。。
〔白洲次郎〕
※外交政策では、八紘一宇と大東亜共栄圏建設を掲げて日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約を締結した。
※太平洋戦争中、吉田茂などと「ヨハンセン・グループ」として昭和天皇に対して「近衛上奏文」を上奏するなど、戦争の早期終結を唱えた。
※戦争末期には、独自の終戦工作も展開していた。太平洋戦争終結後、東久邇宮内閣にて国務大臣として入閣した。
※大日本帝国憲法改正に意欲を見せたものの、A級戦犯に指定され服毒自殺した。
屈託した弱々しい内面 、元老-西園寺公望がせっかく期待して育てたのに裏切った。
とうとう出て来た・・・
〔西園寺公望(サイオンジ キンモチ) 〕
※「近代日本史」のところで紹介する予定の、幕末~明治~大正~昭和初期の重要人物、兼フィクサー。(二つの顔を持つ、江戸川乱歩の世界みたいな人物・・・ 正 or 邪 )
近衛のヒゲおじ様~
なのに、東久邇宮と同じく自分も天皇になれるとプライドがあった。
(本当は昭和天皇より自分が上なのだと・・・ ( ̄^ ̄)/ )
東京裁判で訴追されないと思っていたら、訴追されて 、ショックで自殺した。
(x_x;)
この人物も、東久邇宮と同じく、歪めた、ウソ混じりの皇室風評・風説流しに“協力”していたようだ。 ///(´_ゝ`)クッククク・・///
近衛文麿 ⇒豊臣時代~ 関白だった「豊臣秀次」の分魂。
(豊臣秀頼が生まれてから、豊臣秀吉とスレ違うようになり、疑心暗鬼に陥り、最後は高野山で切腹した・・・ (><;) )
大河ドラマ『真田丸』(↓)では、~新納 慎也(にいろ しんや)さんが演じられていました。
花の慶次 (`(エ)´)ノ_彡
「邪魔だ ~ どけ
~ 」
「ギャ~ 」
木戸幸一 ((゚m゚;)
「アワワ・・・ 」
※内務大臣~~~昭和天皇の側近ながら、東久邇宮・近衛にも使われていた、
※悪質な、皇室風評・風説が外に出るキッカケとなった『木戸日記』 の作者。
※東京裁判~公判中は、バスの中で他の被告軍人たちから、あまりの情けなさ・保身性を面と向かって非難・罵倒されて、真っ赤になって耐えていたとか・・・ (゙ `-´)/ //////
マジメ、兼、フラフラした危うい小人物。
木戸幸一 ⇒片桐且元(カタギリ カツモト)の分魂。
(豊臣秀吉の家臣、傅役として豊臣秀頼にも仕えていたが、徳川家康に協力的な立場で、方広寺鐘銘事件で大坂城を退出して徳川方に転じたとか。。。)
大河ドラマ『真田丸』(↓)では、~小林 隆さんが演じられていました。
織田信長様 ヾ(▼ヘ▼;)/
「アワワ~ほざいてないで、サッサと行け ~ 」