セント・へレンズ火山とは、世界の定説、常識を覆す、予測を外すキッカケをもたらしたような山・・・ (-"-;A
専門家の予測さえ覆してアタックを仕掛ける・・・
(o_ _)ノ彡☆ポムポム 。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ
さて、こちらもすっかり予定を覆されて、、、 ( ̄_ ̄ i)
〔トゥートル川渓谷の残骸・・・ 〕 ※川であり渓谷だった処
※これで高さ数十メートル~100m以上もある。
セント・へレンズ火山の火砕流や土石流に埋もれてしまった感じ・・・ ~(;´Д`)ノ~
(正確には、ロッキー山脈周辺の地質構造に埋もれてしまった、、、というところか?・・・ それだけ世界的にも特殊で稀な地質構造とその歴史を秘めている地帯。)
どのように円転滑脱~抜け出すか
噴火の結果・・・
数日間にわたって絶え間なく爆発が起こり、最終的には広島型原爆2万7000個分に相当するエネルギーがセント・ヘレンズ山から放出された。
セント・ヘレンズ山の北側には幅約3km、深さ約800mの巨大な火口●が出現し、セント・ヘレンズ山の標高は400mほど減少した。
⇒噴火により、山体の北側が、あっという間に消え去り、大きな「馬蹄形カルデラ」が形成された。
この噴火により57人が死亡、もしくは行方不明となり、5000頭のシカ、1100万匹の魚が死亡したと推定。
「アメリカ合衆国地質調査所」は早くから噴火を予測していた、その予兆も掴んでいた。
但し、予測を覆したというか、予測できなかった要因があった。だから57人もの犠牲者が出た。
(内一人は、避難警告を無視して居座り、愛猫16匹と今も埋まったままのスピリット湖-ロッジ のオヤジ。)
( ̄へ  ̄ 凸
アメリカ中から賞賛と支援の声が集まり、一躍人気者になったが、その度胸も名声さえもアッサリと噴火が粉々に吹き飛ばして十数メートル地下に埋めた・・・ まま~今も。。。
予測できなかったもの ⇒噴火と土石流の★規模と威力★、横殴りの爆風など―
※但し、この経験が以降の噴火やピナトゥボ山(フィリピン)など他の火山の噴火の予測に役立つことに繋がった。
「岩屑なだれ」 ⇒高速で大規模な山体が崩壊すること。
「火砕流」(火砕サージ) ⇒高温の火山灰とガスの混合物の流れ。
セントヘレンズの岩屑なだれと火砕流のスピードは、秒速35mという速さで、山頂から28kmの距離に達するのに10分もかからなかった。
※秒速35m=時速126km
火砕流を見てから 、車で逃げようとしても、逃げ切れない。 (((゜д゜;)))
(前記事-日本の1991年、雲仙普賢岳の噴火の犠牲者を出したのも、このような火砕流だった。 ヾ(▼ヘ▼;)/ )
特に、雲仙普賢岳の火砕流犠牲者の中には、フランスとアメリカの火山学者のスペシャリスト3名が含まれていた。
フランスとアメリカの火山学者たちは、火砕流に彼等の予測を覆されてしまって被災した。
⇒自分達が観測する位置には火砕流は来ない―― と予測していたら、 (o^-')b
来てしまった。。。 ヽ(*'0'*)ツ ( ̄□ ̄;)!! (-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
(火砕流が回転点に達し、二手に別れてしまった為)
〔 フランス-クラフト夫妻〕
※カティア・クラフトと彼女の夫、モーリス・クラフト
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世界的に有名な火山学者 & 火山の写真撮影と映画撮影のパイオニア。
生涯で足を運び調査した火山の数は184か所にもなるとか~
シチリア島近くのストロンボリ火山噴火の写真を撮ったことがキッカケで火山に嵌り、しばしば活動し始めた火山に最初に到着していた。
コロンビア、インドネシア、フィリピンなどの火山噴火国の政府にも避難勧告をするなど業績を積んでいた。
日本にも三原山の噴火などで、度々来訪~
溶岩が流れるすぐ横でも、耐火靴を使用せず普通の登山靴を好んで使用していた。
(耐火靴を使わない理由 ⇒地面の温度が判らないから・・・ とか。)
(-。-;) モーリス・クラフト
「私は火山へ接近することで死んでしまうとしても、それを恐れていない。なぜならそのお陰で23年間も様々な噴火を見ることが出来た。もし明日私が死んでしまうとしても、私は構わない」とビデオで語っていた。
⇒雲仙普賢岳で実現してしまった。。。
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〔 アメリカ-ハリー・グリッケン〕
※実は、この人物は1980年のセント・へレンズ大噴火の真っ先の噴火第一確認者-兼-死んでいるはずだった・・・
この時、真っ先の第一噴火確認者-兼-即死したのは、デイヴィッド・ジョンストン。
※観測チームの主任科学者。
〔デイヴィッド・ジョンストン-噴火により死亡する13時間前の姿〕
※噴火直後の第一報だけ残して、、、火砕流をモロに受けて消滅した。後年、車両残骸だけが遠く離れた処で発見された・・・
本来、ここに写っている、そして火砕流の直撃を受けていたのはハリー・グリッケンのはず・・・ だった。
たまたま、卒業研究に関する面接を受けるために休暇を取ったので、ハリー・グリッケンの研究の助言者で指導者でもあったデイヴィッド・ジョンストンに一時的に代わってもらった矢先のことだった。
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
悔やんでも悔やみ切れないハリー・グリッケンは火山研究、セント・へレンズ火山の研究に没頭し、その成果だけはシッカリ残した。
しかし、ついにアメリカ合衆国地質調査所から正式に雇用される― という夢だけは叶わなかった。
1989年から1991年~
ハリー・グリッケンは日本の東京大学地震研究所で博士研究員として火山学の研究を続け、研究室の教授および翻訳者として活動した。
⇒これが雲仙岳の研究に関わるようになったキッカケ。
皆、いずれもその研究・業績は遺産として受け継がれている~
ということで、セントヘレンズ火山の大噴火~
また家屋200棟、橋43本、高速道路など道路約300km以上、鉄道25km以上が破壊された。
⇒これは大規模-土石流によるもの。
土石流は、マグマや岩石の破片と、河川や池の水、溶けた雪や氷が交じり合って起こる。
土石流は、通り過ぎたところを、根こそぎ、破壊して行く。
土石流は、数時間のうちに数十kmを流れ下る。
※セントヘレンズ火山のように、山頂が雪を被る 、氷河 を持つような山で噴火した場合、土石流のレベルが超破壊的になるよう~
(その後の推移)
1980年から1986年にかけて、セント・ヘレンズ山は活発に活動を続けた。
〔1982年5月〕
火口には新たな溶岩ドームが形成され、多数の小爆発を伴いながら溶岩ドームは成長を続けた。
〔火星人か老婆みたいなモノが頭と両手を出したかのような溶岩ドーム〕
2004年秋、セント・ヘレンズ山の火山活動は再び活発化した。
⇒水蒸気や火山灰の噴出を開始し、噴煙は標高3000mに~
更に、内部のマグマが大規模な移動を起こしたために発生したと考えられる低周波-火山性地震・・・
2008年1月、溶岩ドームの活動が止まり、同年6月、噴火活動の終息が宣言された。
A=´、`=)ゞ
しかし ・・・・・・ (*。◇。)ハッ!
〔2016年2月以降~ マグマが原因と考えられる群発地震が130回記録〕
(→その74に続く)