(-。-;) 結果だけ簡単に記せば済むかもしれませんが、それでもチンプンカンプンになるだろうから、敢えて地理・地質学的な面と、歴史を軽くおさらいしておきます。
(というか・・・ 自分でさえも知らなかった事ですが。。。 (゚ー゚; )
★伊豆丹沢大神界★
⇒伊豆諸島~伊豆半島+付け根(沼津・三島)+箱根・小田原~丹沢山地全域
〔伊豆諸島〕
但し・・・
伊豆半島と丹沢山地は、従来は日本列島には無かった、存在しなかった・・・・・・ようです。
どういうことかというと、遥か南の方から、プレートの北上に伴い、火山活動を繰り返しながら本州に衝突してくっ付いた・・・ そして誕生したもの。
(もちろん人類史以前の話しです。)
まるで陸地の“外来種”とでも言えそう・・・
(但し、この過程が無ければ、恐らく・・・今の関東平野は無かったかもしれなく、また富士山等火山帯も安定せずに、今の静岡県などは吹き飛ばされて消滅していたか、溶岩の下に埋まっていたかも。)
※静岡県に伊豆半島と、(神奈川県になりますが)丹沢山地があって良かった!!~ と再認識する時がやって来るかも♪~
■伊豆半島 本州で唯一、フィリピン海プレートの上に乗っている地域。
※伊豆半島ジオパーク資料より(↓)
かつては南洋にあった火山島や海底火山の集まりだった。
⇒約2000万年前、伊豆は本州から数百km南~ 現在の硫黄島付近の緯度にあった海底火山群だった。
実際は北のアリューシャン列島海域→千島列島海域→北海道・東北沖→伊豆諸島→小笠原諸島→北マリアナへと繋がっています。(超~巨大、長距離の海底のドラゴン地帯)
約60万年前くらいに、フィリピン海プレートの上にできた海底火山や火山島は、プレートと共に北に移動し、やがて本州に衝突して
現在のような半島の形になった。
※伊豆半島ジオパーク資料より(↓)
〔ランドサット衛星による伊豆半島-画像〕
半島となってから~約20万年前くらいまでは、陸上のあちらこちらで噴火が起き、天城山や達磨山といった現在の伊豆の骨格を形づくる大型の火山ができた。
〔本州本土に衝突後の伊豆半島の火山分布〕
※天城峠、天城越え (* ̄Oノ ̄*) ♪~で有名な天城山一帯は大型火山だった。。。
⇒現在は「伊豆東部火山群」として活火山の一つとなっている。
「伊豆東部火山群」のような“独立単成火山群”は、中心となる火口を持たず、1回の噴火でできる火口をあちこちに作るという特徴がある。
プレートの動きは、現在も伊豆の大地を本州に押し込み続けていて、地殻変動によりさまざまな地形を作り続けている。(継続中~ )
〔伊豆半島-海底地形図〕 ※海上保安庁資料より
伊豆は本州への衝突にともなって半島全体が隆起した。
⇒その為、本来ならば海の底に没しているはずの海底火山群を、美しい海岸線やダイナミックな溶岩地形として直接観察できる稀有な場所となっている。
〔様々な時代の岩石にその時の地球磁場が記録されているとか~〕
〔伊東市の大室山と城ヶ崎海岸〕
〔西伊豆町の堂ヶ島海岸 -海底噴火と波の記憶〕
〔石廊崎断層〕
〔多賀火山の溶岩流(韮山峠南)〕
大型火山群が造った緩やかな山腹や裾野~~~
⇒中伊豆地域※を中心として今も各所に残り、雄大な高原として観光や畑作・畜産などに利用され続けている。
※観光名所-修善寺を中心とした辺り。
〔伊豆ワサビ畑〕
〔河津町-大噴湯〕
以上は、国土創生の観点から。
以下からは歴史的な観点より~
出雲帝国時代は、太平洋沿岸地帯~ 特に現在の静岡県一帯は僻地だった。
⇒メイン、幹線は日本海側だった。
※「五畿七道」~ 東海道が整備されたのは後世。
それまでは琵琶湖~諏訪~東北か、日本海沿岸がメインだった。
※それでも四国の事代主神様が海上経由で伊豆諸島・半島を開拓されていた。 (^O^)/
出雲帝国の後世は、伊豆は流刑地のような取り扱いに・・・
⇒皮肉にも、流刑第一号は、伊豆の主=事代主神様になってしまったような。。。
※出雲で大物主達に陥れられて幽閉された事代主神様は、殺されずに伊豆大島へ流刑に・・・
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(流刑解除=封印解除されたのは、2014年の「大中部浄化」の時。)
伊豆大島~その三原山を浄化した神軍は当時の高千穂神界軍だったアレキサンダー大王・スパルタカス軍団。
封印解除で事代主神様が三原山※の火口から飛び出されて来ましたが、お互い、初の顔合わせでした。 (# ゜Д゜)∂ あ? vs ゛(`ヘ´#)
●
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※▲三原山(伊豆大島)
⇒近年の全島避難など慌しい火山。
1984年(昭和59年)『ゴジラ』がラストに三原山噴火口に落とされて消息不明に・・・
1986年(昭和61年)に三原山噴火
(2年前のゴジラの祟りとも・・・ )
※その前の噴火は35年前の1951年(昭和26年)
⇒全島民が一ヶ月にわたって島外避難。
((((((ノ゚⊿゚)ノ
※山頂には三原神社があったが・・・ 何故か被災しなかった。。。
2013年(平成25年10月)― 今度は台風26号
⇒観測史上最大の大雨を記録し、土砂災害により数十名の死者・行方不明者を・・・・・・
同年-台風27号
⇒1273人に対して避難指示発令 ~
((((((ノ゚⊿゚)ノ
もちろん長年~~~自殺の名所
にもなっていたし、旅客機(木星号)まで落ちていた曰く付きの火山。
(もちろん全て風穴に吸い込みましたけれど~
)
事代主神様の伊豆流刑前後に、蛇神(?)
による富士山~丹沢方面の乗っ取り・・・
(それより遥か太古から乗っ取って、居座っていた可能性も・・・ )
以降~ 伊豆・静岡県の歴史は歪んで行くことに・・・
律令時代~
天武天皇時代(680年)に駿河国より分離されて「伊豆国」が設置された。
(国府は三島に置かれ、範囲は伊豆諸島を含む。)
※畿内から遠い伊豆国は、律令時代には流刑の地とされていた。
静岡県平野部~
大和朝廷時代~奈良時代は大陸・半島帰化人達が配置されて開拓~ (;^_^A (;´▽`A``
(とはいえ、この時代は殆ど出雲帝国人達が引き上げてきたようなもの。戦後大陸から日本人が引き上げてきたように。)
同じく平野部~
飛鳥時代には、虫 を崇める変な新興宗教が流行し、それが都にまで拡大~飛び火してきたので、秦河勝様(↓在大阪城)が軍をだして討伐・成敗
~
平氏の時代~
源平の戦いに敗れた源頼朝公が蛭ヶ小島(←離島ではなく現在の伊豆の国市)へ流刑となった。
鎌倉時代初期~
伊豆は執権-北条氏 ヾ(▼ヘ▼;) の本拠地でもあったことから、監視すべき重要(危険)人物の流刑地になった。
源頼朝の弟-源頼範や、第2代将軍-源頼家が修善寺に幽閉されて、北条氏の襲撃を受けて自害や暗殺された場所。 ヾ(▼ヘ▼;)
(x_x;) (>_<)
〔修善寺〕
〔源頼範〕 ※源頼朝公の弟、義経にとっては兄。
(↑戦場で源義経の背後で補佐するだけあって、冷静かつ戦略眼のありそうな人物)
〔源頼家〕 ※鎌倉幕府2代目将軍、北条政子様・頼朝公の嫡男。
(コチラ↑成仏させても将軍のつもり、、、いつまでも騒いでいて、母親であった北条政子様に叱られていました・・・ ヾ(。`Д´。)ノ
o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!
)
〔入浴中に襲撃されて暗殺〕
(伊豆-「修善寺」と言えば、思い浮かべるのは温泉やワサビよりもコチラ↑かも・・・ )
鎌倉幕府-幕末~
幕府に批判的な日蓮(←現在の清澄様)が幕府より流刑に処された。
※上陸直前に海上の岩に置き去りにされ、危うく助かった。(伊豆法難)
室町時代初期~
鎌倉に置かれた「鎌倉府」と京都-室町幕府の対立の前線となり、足利政知は鎌倉に入れずに韮山町(上記-頼朝公流刑地)に留まって堀越公方と呼ばれた。
戦国時代~
北条早雲(↓)が足利茶々丸を滅ぼし、豊臣秀吉に滅ぼされるまで「後北条氏」が支配した。
※「後北条氏」
⇒つい先日、大河ドラマ『真田丸』でその決着がついたばかり・・・(滅) (。-人-。)
(→その57に続く)