タイ民族は、中国華南→インドシナ半島を南下 して現在のタイの位置に定住。
①スコータイ王朝(1238年 - 1350年)
②アユタヤー王朝(1350年 - 1767年)
③トンブリー王朝(1767年 - 1782年) を経て~
現在⇒チャクリー王朝(1782年 - )へ
※バンコク王朝、ラッタナーコーシン王朝とも称されます。
●王宮群
王宮は一つではなく、複数あり、それぞれ○○王宮群と称されるようです。
主な宮殿を挙げれば~
〔大宮殿-チャクリーマハープラーサート宮殿〕
※バンコク・プラナコーン区にあるタイ国王の「公的」な居住地とされているが、現在はチャクリー王朝あるいはチャクリー家のシンボル的存在にとどまっている。
[チャクリー宮殿]
★バンコク・ドゥシット区
〔チットラダー宮殿〕
※王室住居(日本の皇居に相当)
中に入れない、写真が撮れないので門と堀ばかり・・・
堀には竜?・・・ が住んでいます。 (・_・;)
(`ε´)
オオトカゲのようです。(このトカゲ、いつも亀をバリバリ喰っているそうです。)
(⌒¬⌒*)
夜景の画像だけはありました。
(* ̄Oノ ̄*) 「夜だけ~の~パラダイス~ 」(昔そんな歌があったような・・・ )
〔ドゥシットマハープラーサート宮殿〕
※国王や王妃、高位の王族が死んだ際に遺体安置所として利用。
(。-人-。)
〔アナンタ・サマーコム宮殿〕
※昔は一時的に国会議事堂として使われ、現在は迎賓館として利用。
〔ウィマーンメーク宮殿〕
※現在はタイ王室関係の博物観、観光名所へ。
〔ボーロマピマーン宮殿〕
※旧王室住居。(ラーマ9世-現プーミポン国王によりチットラダー宮殿へ引越。)
少々訳ありなのがこの旧王室住居-ボーロマピマーン宮殿。
この宮殿の寝室で、前国王-ラーマ8世が額から後頭部にかけて銃弾(コルト・ガバメント)が貫通する形で死亡~他殺体で発見された為。 (x_x;)
(1946年6月、享年20歳)
〔ラーマ8世-アーナンタマヒドン〕
※生まれはドイツのハイデルベルク
「不敬罪」に抵触する可能性があるので、タイではこの問題に深入りすることが今なおタブーとなっており、真相は完全に究明されず、弟で現国王のラーマ9世が即位して今日に至る。
※犯人として、ラーマ8世の側近、侍従3名が処刑されたのみ。 ( ̄_ ̄ i)
大戦前、戦時中、終戦後間もなくの情勢下で、タイ国も生き残りをかけて勢力が複数入り乱れていた中での事件。
インドシナ半島はフランス、イギリスの影響下にありましたが、日本がこれらを駆逐~
当然タイ国内の政治勢力もこれらに合わせて変遷~
歴史上ではタイ王国は枢軸側-日本・ドイツ側に入り、フランス・イギリスと戦闘。
一方、中国共産党やアメリカも暗躍していました。
駐米大使などのたくみな外交(自由タイ運動)などにより、一方ではタイは連合国側に所属。
※この時点で、タイは“こうもり”状態。。。
終戦後は「敵国条項」※の対象とされず、1946年12月には国際連合に加盟。
⇒この半年前に、ラーマ8世事件が発生。
※日本、日本人は未だに「敵国条項」の対象にされており、拘束を受けています。
(つまり、70年過ぎても、未だに敵国人、敗戦国人扱いのまま・・・ )
〔参考〕===============
因みにこの動乱時代のタイ政府要人の主な顔ぶれだけ紹介。
(長たらしい名前よりも顔だけ見ていくと背景が観えて来る感じ。。。 (-"-;A )
〔プレーク・ピブーンソンクラーム〕
※“永久宰相”と言われるくらい何度も強権的な政権を担った人物。
(第8次内閣までやっていました。)
最後は神奈川県相模原市にて没。 (。-人-。)
※とにかく近代~現代日本には様々な人物が来日しています。
〔プリーディー・パノムヨン〕
※タイ民主主義の父と称される人物。
反日地下組織である、自由タイ運動『セリ・タイ』のネットワークを築く。(コードネーム「ルース」)
かなり左翼的な傾向のある人物ながら、ラーマ8世当時の首相。
ラーマ8世事件にて失脚。
最後は亡命先のパリにて死去。
〔クアン・アパイウォン〕
※日本人を騙すのが上手いと称された人物。
但し、ヨーロッパ・アメリカ~日本の間で国の生き残り=綱渡りを図った手腕から来ている感じ。
日本との関係も深く1961年(昭和36年)に来日。
〔セーニー・プラーモート〕
※タイ王室の一員。
元駐米大使で、悪名高い「ハル・ノート」で有名なアメリカ国務長官-コーデル・ハルと交渉し、タイを連合国側に結びつけた人物。
首相を経験するも軍事クーデターなどで失脚、一弁護士として終わる。
フランス、イギリスがインドシナ半島でやりたい放題跋扈していた時代から、タイ国内も勢力がブツかり合っていたということ。
(決して“微笑み”ながらではないはず・・・ もしそれをやっていたら本当に不気味な国になります。)
======================
●寺院 ※「ワット」とは寺の意。
〔ワット・プラケーオ(エメラルド寺院) +王宮〕
※バンコク
王室祭祀がある場合は、外国人は立ち入り禁止。
本堂の前には三種類の様式の巨大な塔(↓)が立っています。
①プラ・シーラッタナチェーディー
黄金の仏舎利塔、スリランカ様式の仏塔。
②プラ・モンドップ
タイ様式の仏堂で三蔵経が収められている。
③プラサート・プラテープ・ピドーン
王室専用の御堂で、中には歴代の国王像がある。
建物の中央にそびえたつ塔はヒンドゥー様式。
※この寺院は王家が管理しているので、タイで唯一僧侶のいないお寺。
御本尊のエメラルド仏(↓)は、夏季・雨季・乾期の始まりに国王自らの手で衣替えされるとか。
(。-人-。)
本堂の入り口。 ( 内部は実は撮影禁止)
▲プラ・スワンナ・チェディ
ラーマ1世が建立した仏塔で、実は境内で最も古い建物。
この塔もおなじみの鬼たちが支えている。
\(*`∧´)/ ヽ(`Д´)ノ
この鬼たちは、必要があれば、塔を天に返す 役目を持っていると伝承。
゛(`ヘ´#)
(一体、「塔」の持つ意味は何なのか? ピラミッドの替わりなのか?・・・ )
回廊の入口を護るのは、二体の鬼達。
ヾ(▼ヘ▼;) (`×´)
回廊の中には「ラーマキエン」の物語が壁画として描かれています。
※ラーマキエン⇒タイの重要な古典文学であり民族叙事詩。
インドの叙事詩『ラーマヤーナ』が元。
〔ワット・アルン(暁の寺) 〕
※バンコク
\(*`∧´)/ ヽ(`Д´)ノ
〔ワット・ポー(菩提の寺) 〕 (@ ̄ρ ̄@)zzzz
※バンコク
ZZzz....
ZZzz....
ZZzz....
(→その22に続く)
①スコータイ王朝(1238年 - 1350年)
②アユタヤー王朝(1350年 - 1767年)
③トンブリー王朝(1767年 - 1782年) を経て~
現在⇒チャクリー王朝(1782年 - )へ
※バンコク王朝、ラッタナーコーシン王朝とも称されます。
●王宮群
王宮は一つではなく、複数あり、それぞれ○○王宮群と称されるようです。
主な宮殿を挙げれば~
〔大宮殿-チャクリーマハープラーサート宮殿〕
※バンコク・プラナコーン区にあるタイ国王の「公的」な居住地とされているが、現在はチャクリー王朝あるいはチャクリー家のシンボル的存在にとどまっている。
[チャクリー宮殿]
★バンコク・ドゥシット区
〔チットラダー宮殿〕
※王室住居(日本の皇居に相当)
中に入れない、写真が撮れないので門と堀ばかり・・・
堀には竜?・・・ が住んでいます。 (・_・;)
(`ε´)
オオトカゲのようです。(このトカゲ、いつも亀をバリバリ喰っているそうです。)
(⌒¬⌒*)
夜景の画像だけはありました。
(* ̄Oノ ̄*) 「夜だけ~の~パラダイス~ 」(昔そんな歌があったような・・・ )
〔ドゥシットマハープラーサート宮殿〕
※国王や王妃、高位の王族が死んだ際に遺体安置所として利用。
(。-人-。)
〔アナンタ・サマーコム宮殿〕
※昔は一時的に国会議事堂として使われ、現在は迎賓館として利用。
〔ウィマーンメーク宮殿〕
※現在はタイ王室関係の博物観、観光名所へ。
〔ボーロマピマーン宮殿〕
※旧王室住居。(ラーマ9世-現プーミポン国王によりチットラダー宮殿へ引越。)
少々訳ありなのがこの旧王室住居-ボーロマピマーン宮殿。
この宮殿の寝室で、前国王-ラーマ8世が額から後頭部にかけて銃弾(コルト・ガバメント)が貫通する形で死亡~他殺体で発見された為。 (x_x;)
(1946年6月、享年20歳)
〔ラーマ8世-アーナンタマヒドン〕
※生まれはドイツのハイデルベルク
「不敬罪」に抵触する可能性があるので、タイではこの問題に深入りすることが今なおタブーとなっており、真相は完全に究明されず、弟で現国王のラーマ9世が即位して今日に至る。
※犯人として、ラーマ8世の側近、侍従3名が処刑されたのみ。 ( ̄_ ̄ i)
大戦前、戦時中、終戦後間もなくの情勢下で、タイ国も生き残りをかけて勢力が複数入り乱れていた中での事件。
インドシナ半島はフランス、イギリスの影響下にありましたが、日本がこれらを駆逐~
当然タイ国内の政治勢力もこれらに合わせて変遷~
歴史上ではタイ王国は枢軸側-日本・ドイツ側に入り、フランス・イギリスと戦闘。
一方、中国共産党やアメリカも暗躍していました。
駐米大使などのたくみな外交(自由タイ運動)などにより、一方ではタイは連合国側に所属。
※この時点で、タイは“こうもり”状態。。。
終戦後は「敵国条項」※の対象とされず、1946年12月には国際連合に加盟。
⇒この半年前に、ラーマ8世事件が発生。
※日本、日本人は未だに「敵国条項」の対象にされており、拘束を受けています。
(つまり、70年過ぎても、未だに敵国人、敗戦国人扱いのまま・・・ )
〔参考〕===============
因みにこの動乱時代のタイ政府要人の主な顔ぶれだけ紹介。
(長たらしい名前よりも顔だけ見ていくと背景が観えて来る感じ。。。 (-"-;A )
〔プレーク・ピブーンソンクラーム〕
※“永久宰相”と言われるくらい何度も強権的な政権を担った人物。
(第8次内閣までやっていました。)
最後は神奈川県相模原市にて没。 (。-人-。)
※とにかく近代~現代日本には様々な人物が来日しています。
〔プリーディー・パノムヨン〕
※タイ民主主義の父と称される人物。
反日地下組織である、自由タイ運動『セリ・タイ』のネットワークを築く。(コードネーム「ルース」)
かなり左翼的な傾向のある人物ながら、ラーマ8世当時の首相。
ラーマ8世事件にて失脚。
最後は亡命先のパリにて死去。
〔クアン・アパイウォン〕
※日本人を騙すのが上手いと称された人物。
但し、ヨーロッパ・アメリカ~日本の間で国の生き残り=綱渡りを図った手腕から来ている感じ。
日本との関係も深く1961年(昭和36年)に来日。
〔セーニー・プラーモート〕
※タイ王室の一員。
元駐米大使で、悪名高い「ハル・ノート」で有名なアメリカ国務長官-コーデル・ハルと交渉し、タイを連合国側に結びつけた人物。
首相を経験するも軍事クーデターなどで失脚、一弁護士として終わる。
フランス、イギリスがインドシナ半島でやりたい放題跋扈していた時代から、タイ国内も勢力がブツかり合っていたということ。
(決して“微笑み”ながらではないはず・・・ もしそれをやっていたら本当に不気味な国になります。)
======================
●寺院 ※「ワット」とは寺の意。
〔ワット・プラケーオ(エメラルド寺院) +王宮〕
※バンコク
王室祭祀がある場合は、外国人は立ち入り禁止。
本堂の前には三種類の様式の巨大な塔(↓)が立っています。
①プラ・シーラッタナチェーディー
黄金の仏舎利塔、スリランカ様式の仏塔。
②プラ・モンドップ
タイ様式の仏堂で三蔵経が収められている。
③プラサート・プラテープ・ピドーン
王室専用の御堂で、中には歴代の国王像がある。
建物の中央にそびえたつ塔はヒンドゥー様式。
※この寺院は王家が管理しているので、タイで唯一僧侶のいないお寺。
御本尊のエメラルド仏(↓)は、夏季・雨季・乾期の始まりに国王自らの手で衣替えされるとか。
(。-人-。)
本堂の入り口。 ( 内部は実は撮影禁止)
▲プラ・スワンナ・チェディ
ラーマ1世が建立した仏塔で、実は境内で最も古い建物。
この塔もおなじみの鬼たちが支えている。
\(*`∧´)/ ヽ(`Д´)ノ
この鬼たちは、必要があれば、塔を天に返す 役目を持っていると伝承。
゛(`ヘ´#)
(一体、「塔」の持つ意味は何なのか? ピラミッドの替わりなのか?・・・ )
回廊の入口を護るのは、二体の鬼達。
ヾ(▼ヘ▼;) (`×´)
回廊の中には「ラーマキエン」の物語が壁画として描かれています。
※ラーマキエン⇒タイの重要な古典文学であり民族叙事詩。
インドの叙事詩『ラーマヤーナ』が元。
〔ワット・アルン(暁の寺) 〕
※バンコク
\(*`∧´)/ ヽ(`Д´)ノ
〔ワット・ポー(菩提の寺) 〕 (@ ̄ρ ̄@)zzzz
※バンコク
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(→その22に続く)