ケーキも切れない、社会も切れない―知能遺伝を無視する馬○親たちの量産機構。
親が「産めばいい」「普通学級でなんとかなる」と無自覚に思い込む。そして、馬○子ども本人の人生は、設計図のない迷路に押し込まれる。しかし本稿は、単なる否定や批判に終わらないよう、信頼できるデータを根拠に。行動遺伝学の研究をもとに。
行動遺伝学のレビューによれば、成人期の知能の遺伝率は60〜80%に達するとされる (Plomin & Deary, 2015)。さらに、大規模な双子研究のメタ分析では、知能の個人差の52~61%が遺伝によって説明できると報告されている (DPPD 2021)。つまり、親の知的水準や思考パターンは、子どもにかなりの割合で引き継がれる可能性が高いと示されているのだ。
にもかかわらず、「子どもが多少障害を抱えても、普通学級に入れれば何とかなる」「産めばいい」という甘い態度で子どもを量産する親が少なくない。まるで家畜のように、なにも考えず快楽の果てに、かってに産む。知能遺伝の事実を無視したこの発想は、本人にとって致命的な人生設計の欠落を意味する。ケーキを切る、判断力を養う、学習を積む―そうした基礎スキルは、無計画な環境下では十分に育たない。結果、子どもは学校や社会で「迷惑かけるガキ」のレールに滑り落ちることが増える。
本人だけではない。社会全体も負荷を抱えることになる。支援コスト、教育のロス、就労不能や犯罪傾向など、回収不能な損失が積み上がる。そして馬○親もまた、何も考えずに「子どもがいればいい」という姿勢は、子どもの人生を設計せず、責任を放棄しているに等しい。社会への依存しか考えていない。勝手に産み落としたくせに。
さらに、出生率拡大を唱える政治や文化も、事態の本質を見ていない。「生まれればいい」という量の追求は、質を無視した“無責任な量産機構”に他ならない。知能遺伝を考えずに子どもを産み続ければ、未来の社会に累積負荷だけが残る。個人も社会も、生産的でも未来志向でもない、ただのコストの積み重ねだ。
この現実は、単なる理屈ではない。行動遺伝学のデータが示す通り、知能の差は親から子にかなりの割合で受け継がれる。その事実を無視して「なんとかなるだろう」と子どもを普通学級や社会に放り込む親の行動は、子ども本人にとっても社会にとっても極めてリスキーだ。「生まれればいい」のではなく「生まれて育つ設計を考える」ことが、唯一の現実的なアプローチなのである。
要するに、親も社会も、知能遺伝という“仕様書”を無視したまま量だけを追いかける限り、ケーキも切れず、社会も切れず、負荷だけが積み上がる構造は止められない。出生率低下が問題視されるならなおさら、単なる“数”ではなく、“質”を意識した議論が求められる。親は子どもの未来を設計し、社会はその設計を支える仕組みを作らなければ、ただの累積負債を量産するだけだ。10年後の日本は、知的障害者だらけになる。
成人期の知能の遺伝率は60〜80% (Plomin & Deary, 2015)
双子研究で52〜61%の遺伝寄与 (DPPD 2021)