Dynablog! -22ページ目

Dynablog!

ほのぼの・ふんわり・マニアック♪
読んでふわっとあったかくなってね~♪

パーヨッ

波さっみぃなあ、おいむかっ

 

みなさーん、風邪ひいてませんかーっ!?

私、何度も繰り返しますが、

寒いのも暑いのも嫌いです叫び

 

一生、桜 がいい・・・ガックリ・・・

 

ところで、素敵なプレゼントをいただきましたよ~!!

こてぃら!

「ボケママの育児絵日記」

ゆきごんさんからです♪

ゆきごんさんご夫婦とかわいいメイちゃんの楽しい絵日記を

描かれてますが、メイちゃんのボケぶりが最高です♪(失礼...)

ちなみに奥さん曰く、ニヤケ具合が私にそっくりだそうです。

ゆきごんさん、ありがとうございました~♪


 

さーそれでは、建築ものがたり、今日もいきますよーっ♪

 

でですね、「歴史はちょっと・・(-゛-)というお声が

いくつかありまして。

 

私も歴史、苦手だったものですから、

「八条宮智仁親王」なんて、漢字が7つ並ぶだけで、

食欲なくす気持ちがよく、わかりますです。

 

で、考えました。

今回から桂離宮の作者、「八条宮智仁親王」を、

「トシヒト」と呼ぶことにします♪

何か身近な感じで♪ おい!トシヒト!

                   

約400年の時を越えて、いまなお多くの人を魅了する桂離宮

一人の人間がいかに作ったか―。

ぜひ、お楽しみくださ~いラブラブ な、トシヒト!

                

Archi-story 桂離宮

002 天下から桂へ

桂離宮の作者、トシヒト(八条宮智仁親王)。

 

桂離宮トシヒトの数奇な人生から生まれたと言っても、

過言ではありません!

 

 

トシヒトは、今で言う「皇太子」の6番目の子。

1579年に生まれてから、わずか数年の間に、

時代は「秀吉の天下」へと大きく動いていました。

 

ある日、その運命の歯車は、突然、まわり始めます。

 

1.突然、秀吉の子になった少年

 

1582年、本能寺で信長が倒れたあとの混乱を制し、

天下を手中にした武将が、秀吉でした。

 

1588年、日本の大半を手中に収めた秀吉。

残る不安は「後継者」。50を過ぎても実子がおらず、

秀吉の取った策が「皇族からの養子」でした。

※正確には猶子(ゆうし)です。

 

その養子こそ、トシヒト少年、10歳(数え年)。

低い身分の出をコンプレックスにしていた秀吉にとっては、

申し分のない縁組み。大喜びでトシヒトを迎えます♪

 

「万代(ばんせい)の 君が行幸(みゆき)に なれなれむ

 緑木高き 軒の玉松  秀吉」

(高貴なあなたに養子になってもらい、

 豊臣は、軒の松のように、栄えていくことでしょう)

 

トシヒトに詠んだ和歌にもはしゃぎっぷりが出てますね~♪

 

さらに10歳のトシヒト「永く豊臣家を栄えさせます!」

立派な返歌をしたことで、秀吉はその出来にビックリ!

 

10歳にして、秀吉の後継者の最有力候補。

大きく開けゆく自らの将来に、トシヒトはどんな思いを

馳せていたんでしょうね。

 

ところが・・・翌年、大事件が起こります。

 

2.大事件ぼっ発

 

翌1589年、豊臣家は上から下への大騒ぎになります。

そう、あの淀殿(茶々)が秀吉の子、鶴松を産んだんです!

 

子をあきらめていた秀吉は、狂喜乱舞!!

 

生まれてすぐに「鶴松こそ我が後継!」と名言、

1年前に大喜びで迎えられたトシヒトは、一転、

鶴松をおびやかす「ジャマ者ガックリ・・・」になります。

 

秀吉は「養子に」との舌の根も乾かぬうちに、縁組みを解消!

トシヒトは豊臣家を追い出されます。ひでーっ叫び

 

追い出されたトシヒトの為に創設されたのが「八条宮家」。

 

わずか12歳で八条宮家の初代、智仁親王となったんです。

 

3.天皇への道

 

トシヒトはその後も、師匠の細川幽斎(ほそかわゆうさい)に

文学を学び、教養を磨いていきます。

 

実はトシヒト、文芸だけでなく、乗馬馬など

スポーツにも長けていたようです♪

 

そのトシヒトに、再び大きな光があたりますキラキラ

 

1598年8月、天下人、秀吉が死去。

秀吉にずっと庇護を受けていた後陽成(ごようぜい)天皇は、

10月、突然譲位(次の天皇に位をゆずる)を宣言。

 

そのとき、後陽成天皇が、「次の天皇に」指名したのが

な、な、なんと!! トシヒトだったのです!!

 

 おいおい、今度は天皇ですよ!

 

この時トシヒトは20歳の立派な青年男の子

人品卑しからぬ、誠に文武に秀でた人物だったのだと思います。

 

んが!!

 

再び、トシヒトの将来を閉ざす人物があらわれます。

 

そう、秀吉の死後、実権をにぎった「徳川家康」その人でした。

 

家康は、秀吉の養子にもなったトシヒトが即位することに大反対、

あらゆる策を用い、とうとうトシヒト即位をつぶします。

 

トシヒトは奇しくも2人の天下人に人生を左右されました。

 

西暦

年齢

(数え)

八条宮 智仁(としひと)親王 年譜

1579

1歳

陽光院 誠仁(さねひと)親王の第六子で生誕。

幼名:胡佐麿(こさまろ)

1588

10歳

豊臣秀吉の猶子(ゆうし)となる

1589

11歳

鶴松が生まれ、秀吉縁組を解消される

(天下人の後継者の道が絶たれる)

胡佐麿のために「八条宮」家が創設される。

1590

12歳

親王宣下を受け、「智仁親王」を名乗る。

1598

20歳

 8月 秀吉が死去。

10月 後陽成天皇が智仁親王

    譲位しようとするが家康に反対され、

    実現せず。結局、後水尾天皇が即位。

(天皇への道も家康に絶たれる)

 

というわけで、トシヒトのこれからはどうなる!!?


  

天下人、天皇、いずれの道も絶たれたトシヒト。

この後の彼の人生が桂への道を開きますきらきら

・・・全然建築の話題まで行かないぞ(笑

どうか、お楽しみに~ラブラブ

 

それでは風邪などひかれませんように!

 

Takio

こなさん、みんばんは~クラッカー

ドン・フライどーですか、みなさん、それで。

昨日のわたくしの誕生日

各地で盛り上がりましたか?

 なんでだよパンチ! バキッ


え?わたくし?

しょーがないなあ。チラッとですよ。チラッと。


ほーれ♪
Dynablog - ガン患者ののほほんMy Life♪

ええ、この世で3本の指が入るほど好きなショートケーキです♪
奥さんが買ってくれました♪

かれこれ30年以上、私の誕生日はショートケーキです。

なにか?



でー、あれほどいいって言ったのに~(ウソ)

プレゼントいただいたんですおドキドキ


どかーんクラッカー
Dynablog - ガン患者ののほほんMy Life♪
いっつもお世話になってるKyo-anHIROさんから!
「お菓子セット」~♪

んまいす!超んまいす!

ありがとございます!!


なおみんさんからは~


かわゆいケーキキャンドル!!クラッカー
キャンドルケーキ?いやいやケーキキャンドル。
部屋でこれだけつけて、ちょっとムードに浸らしてもらいます(笑


koto*kotoさんからは~


は、初めての自家用機!!クラッカー
ええ、ええ、飛びます、飛びます!!
飛びますとも!
ありがとございます!


うさぎさんからは~


クラッカー!!クラッカー
これで、騒がせてもらいましたよ!!
ありがとございます!


そらさんからは~


だるまちゃん!!クラッカー
今年はいい年になりそうですZE!!
ありがとございます!



そして、

竹さん、おめでとメールありがとうございます♪


zukaさん
エモさん
bauパパさん
☆みずたま★さん
福豆さん
なずなさん
イユさん
かんのんママさん


お誕生日おめでとうコメント、
ありがとうございます~!!!


みなさま、とってもうれしかったどぅえす♪


いい・・・・いい38才になりますっ(涙



と、いうわけで、
とってもうれしいバースデーでございますた♪

これからもよろしくお願いしますっ♪

Takio

パーヨッ

みなさん、こんにちは~鼻血

おげんこ?お正月、抜けましたか~?

 

ハイ、そこのあなた、正解です!

明日、1月7日は私のバースデークラッカー

うっひょっひょーいロケットえ、何歳?・・・はくさい。

 

いやいやいやいやプレゼントなんていらないですってパー

だーかーら!気遣わないでくださいってきらきら ←期待のメ

 

さて!今回からプチヲタ(-゛-)です。

引かないようにしてくだ、さ、い、パーヨッ

それではシリーズ「桂離宮」。はじまり、はじまり~♪

 

Archi-story 桂離宮

001 情熱の創建者

 

は?(-゛-) 桂離宮~?...。

聞いたことあるけど、イマイチピン電球と来ないですよね。

日光東照宮だと、なにかしらイメージ湧きますけどって方、

多いと思います♪

 

まず、桂離宮と言うと出てくる「古書院」。あの写真だけ見ると、

「田舎っぽくね?」(-゛-)?って思われるかもしれません。

 

※桂離宮古書院。右に迫り出しているのが「月見台」。

 

東照宮に比べて、インパクトにかけるし~みたいな。

 

ふっふっふ。ノンノンノンパー

 

 もとは八条宮(はちじょうのみや)家の別荘ですが、

貴族が金にモノを言わせて作ったそんじょそこらの別荘じゃ

ありません。

親子二代、足掛け50年の歳月をかけて作られたんです。

 

なぜ「桂」なのか。

 

どんなメッセージが隠されているのか。

 

そもそも、何のために作られたのか。

 

そのいずれにも作り手の生涯を賭けたドラマ

熱く流れているのが桂離宮です。

 

背景が見えた時、建築の感動は何倍にも広がります鼻血ブッ

今回その鍵は「誰がつくったのか」に隠されています♪

 

それでは、桂離宮への旅を始めたいとおもいま~す♪

 

 


■桂離宮の作者:八条宮智仁親王

 

桂離宮は、京都御所の南西を流れる桂川のほとりにあります。

 

 当時、「天下の絶景」とうたわれ、昭和に入り、建築家ブルーノ・タウトが、あまりの美しさに泣いた、と書いた桂離宮

 

【ブルーノ・タウト】1880-1938

ナチス政権下で職を奪われ、日本に亡命したドイツの建築家。桂離宮を再評価したことでも知られる。亡命が成功した翌日、自分の誕生日(5月4日)に桂離宮を訪問。「泣きたくなるほど美しい印象だ」と離宮内の詳細な印象とともに日記に書いている。

 

この桂離宮を作ったのが、八条宮家初代智仁(としひと)親王。

 

※八条宮初代、智仁親王(1579-1629)。慈照院所蔵の肖像画。 

 

桃山から江戸時代に生きた、宮中一の知識人、文化人です。

親王は、自ら桂離宮を設計しただけでなく、

各地を歩いて材木や名石を捜し歩き、

10年をかけてこの別荘の造営に情熱を注ぎます。

 

彼の後半生は、桂離宮一色といっても過言ではありません。

 

※古書院の面皮柱。柱や天井竿縁には珍しい松を使っている。

 

目に留めないような細部にまで、吟味を重ねた材を使い、

そのこだわりは、

昭和の大改修が行われた際、現代の名工達をうならせます。

 

一体、何が、彼をそこまで突き動かしたのか。

 

次回は、桂離宮を生んだ智仁親王の、

信じられないような数奇なドラマをご紹介します~♪


 

 

なんだか長編になりそうな予感~

それでは、みなさま!また次回~パーヨッ

 

Takio