
ヨッ
さっみぃなあ、おい
みなさーん、風邪ひいてませんかーっ!?
私、何度も繰り返しますが、
寒いのも暑いのも嫌いです
一生、春
がいい・・・
ところで、素敵なプレゼントをいただきましたよ~!!
こてぃら!

ゆきごんさんからです♪
ゆきごんさんご夫婦とかわいいメイちゃんの楽しい絵日記を
描かれてますが、メイちゃんのボケぶりが最高です♪(失礼...)
ちなみに奥さん曰く、ニヤケ具合が私にそっくりだそうです。
ゆきごんさん、ありがとうございました~♪
さーそれでは、建築ものがたり、今日もいきますよーっ♪
でですね、「歴史はちょっと・・
」というお声が
いくつかありまして。
私も歴史、苦手だったものですから、
「八条宮智仁親王」なんて、漢字が7つ並ぶだけで、
食欲なくす気持ちがよく、わかりますです。
で、考えました。
今回から桂離宮の作者、「八条宮智仁親王」を、
「トシヒト」と呼ぶことにします♪
何か身近な感じで♪ おい!トシヒト!

約400年の時を越えて、いまなお多くの人を魅了する桂離宮。
一人の人間がいかに作ったか―。
ぜひ、お楽しみくださ~い
な、トシヒト!

| Archi-story 桂離宮 |
|---|
| 002 天下から桂へ |
桂離宮の作者、トシヒト(八条宮智仁親王)。
桂離宮はトシヒトの数奇な人生から生まれたと言っても、
過言ではありません!

トシヒトは、今で言う「皇太子」の6番目の子。
1579年に生まれてから、わずか数年の間に、
時代は「秀吉の天下」へと大きく動いていました。
ある日、その運命の歯車は、突然、まわり始めます。
| 1.突然、秀吉の子になった少年 |
1582年、本能寺で信長が倒れたあとの混乱を制し、
天下を手中にした武将が、秀吉でした。
1588年、日本の大半を手中に収めた秀吉。
残る不安は「後継者」。50を過ぎても実子がおらず、
秀吉の取った策が「皇族からの養子」でした。
※正確には猶子(ゆうし)です。
その養子こそ、トシヒト少年、10歳(数え年)。
低い身分の出をコンプレックスにしていた秀吉にとっては、
申し分のない縁組み。大喜びでトシヒトを迎えます♪
「万代(ばんせい)の 君が行幸(みゆき)に なれなれむ
緑木高き 軒の玉松 秀吉」
(高貴なあなたに養子になってもらい、
豊臣は、軒の松のように、栄えていくことでしょう)
トシヒトに詠んだ和歌にもはしゃぎっぷりが出てますね~♪

さらに10歳のトシヒトが「永く豊臣家を栄えさせます!」と
立派な返歌をしたことで、秀吉はその出来にビックリ!
10歳にして、秀吉の後継者の最有力候補。
大きく開けゆく自らの将来に、トシヒトはどんな思いを
馳せていたんでしょうね。
ところが・・・翌年、大事件が起こります。
| 2.大事件ぼっ発 |
翌1589年、豊臣家は上から下への大騒ぎになります。
そう、あの淀殿(茶々)が秀吉の子、鶴松を産んだんです!
子をあきらめていた秀吉は、狂喜乱舞
生まれてすぐに「鶴松こそ我が後継!」と名言、
1年前に大喜びで迎えられたトシヒトは、一転、
鶴松をおびやかす「ジャマ者
」になります。
秀吉は「養子に」との舌の根も乾かぬうちに、縁組みを解消!
トシヒトは豊臣家を追い出されます。ひでーっ
追い出されたトシヒトの為に創設されたのが「八条宮家」。
わずか12歳で八条宮家の初代、智仁親王となったんです。
| 3.天皇への道 |
トシヒトはその後も、師匠の細川幽斎(ほそかわゆうさい)に
文学を学び、教養を磨いていきます。
実はトシヒト、文芸だけでなく、乗馬
など
スポーツにも長けていたようです♪
そのトシヒトに、再び大きな光があたります
1598年8月、天下人、秀吉が死去。
秀吉にずっと庇護を受けていた後陽成(ごようぜい)天皇は、
10月、突然譲位(次の天皇に位をゆずる)を宣言。
そのとき、後陽成天皇が、「次の天皇に」指名したのが
な、な、なんと!! トシヒトだったのです!!
おいおい、今度は天皇ですよ!
この時トシヒトは20歳の立派な青年
人品卑しからぬ、誠に文武に秀でた人物だったのだと思います。
んが!!
再び、トシヒトの将来を閉ざす人物があらわれます。
そう、秀吉の死後、実権をにぎった「徳川家康」その人でした。
家康は、秀吉の養子にもなったトシヒトが即位することに大反対、
あらゆる策を用い、とうとうトシヒト即位をつぶします。
トシヒトは奇しくも2人の天下人に人生を左右されました。
| 西暦 | 年齢 (数え) | 八条宮 智仁(としひと)親王 年譜 |
|---|---|---|
| 1579 | 1歳 | 陽光院 誠仁(さねひと)親王の第六子で生誕。 |
| 幼名:胡佐麿(こさまろ) | ||
| 1588 | 10歳 | 豊臣秀吉の猶子(ゆうし)となる |
| 1589 | 11歳 | 鶴松が生まれ、秀吉に縁組を解消される |
| (天下人の後継者の道が絶たれる) 胡佐麿のために「八条宮」家が創設される。 | ||
| 1590 | 12歳 | 親王宣下を受け、「智仁親王」を名乗る。 |
| 1598 | 20歳 | 8月 秀吉が死去。 |
| 10月 後陽成天皇が智仁親王に 譲位しようとするが家康に反対され、 実現せず。結局、後水尾天皇が即位。 (天皇への道も家康に絶たれる) |
というわけで、トシヒトのこれからはどうなる!!?
天下人、天皇、いずれの道も絶たれたトシヒト。
この後の彼の人生が桂への道を開きます
♪
・・・全然建築の話題まで行かないぞ(笑
どうか、お楽しみに~
それでは風邪などひかれませんように!
Takio

どーですか、みなさん、それで。



と来ないですよね。

