Archi-story 桂離宮003「平安の世界へ」 | Dynablog!

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ほのぼの・ふんわり・マニアック♪
読んでふわっとあったかくなってね~♪

パーヨッ

 

みなさん、こにゃにゃちは♪Takioでございまふ。

 

波 だ、か、ら、寒いってむかっ

 

あーさみ。うーさみ。春よ桜、早く来てくり。

 

みなさま、連休は楽しまれましたか?

わたくし、いろいろと用をこなしてる間に、

あっという間に過ぎちまいましたあせる

 

前回の記事にコメント、ありがとうございますた♪

そんなこんなで、今日もいきませうきらきら 付き合ってね~ラブラブ

 

Archi-story 桂離宮

003 平安の世界へ

 

さてさて、「天下人」「天皇」の道が目の前まで開けながら、

20歳にして早くも夢を奪われたトシヒトは、

一体どんな方向に進んでいったのでしょうか・・・?。

 

1.一転、稀代の文化人へ

 

その後のトシヒトは、「伊勢物語」「古今和歌集」など、

平安朝の文学に没頭していきます。

 

時の権力者の都合で、右に左に揺れる、戦国の公家の立場を

嫌と言うほどその身で味わってきたトシヒトにとって、

貴族が王朝文化を謳歌した平安の世は、憧れだったのでしょう。

 

※『古今和歌集 巻第一』 

 

小さな頃より教養光るトシヒト

文化人として、あっという間に頭角をあらわします。

 

22歳の時、文学の師匠・細川幽斎より

「古今伝授※」を受け、若くして宮中第一の

文化人として尊敬されるようになります♪

※『古今和歌集』の解釈に関する秘伝の伝授。当時の文化人のなかでは、最高に尊崇される栄誉であった。

 

2.運命の一書、『源氏物語』

 

そして、トシヒトは一冊の運命の書の世界に

深く入っていきます。

 

それが、『源氏物語』でした。

 

27歳のときに『源氏物語』五十四帖を読破。

32歳で、同じく細川幽斎より「源氏物語相伝」を受け、

名実ともに『源氏物語』の第一人者となります。

 

ご存知のように、『源氏物語』はプリンス光源氏男の子

一大恋愛ラブラブストーリーですが、トシヒトはむしろ、

『源氏物語』に著述される「平安の世界観」に注目したようです。

 

※『源氏物語絵巻』 

 

トシヒト『源氏物語』を抜書きしたノートが残されていますが、

驚くことに彼が残したものは、ストーリーではなく、

「庭園の樹種、石、水の様子」「建築の雰囲気」といった

建築・作庭に関する記述が大半でした。

 

そうです、トシヒト『源氏物語』の舞台装置、

平安の邸宅、別荘、庭園を徹して研究していたんです。

間違いなく、その目的は、平安王朝文化の再現、

『源氏物語』の舞台を現実につくりあげることでした。

 

そして、トシヒトの頭の中には、はっきりと「ある場所」が

浮かんでいました。

 

3.平安再現の地、「桂」

 

平安朝再現の地として、トシヒトが明確に思い描いた地。

それこそが「桂」だったのです。

 

 

というのも、『源氏物語』松風の巻に「桂の院」という

光源氏の別荘が登場します。

 

この桂の院、藤原道長の桂の別荘「桂殿」をモデルにしたと

いわれており、優美な宴が行われた「桂」の地に

並々ならぬ思いを抱いていったんです。

 

天下人、天皇の夢敗れたトシヒトの新たなる夢。

『源氏物語』の再現は、生き甲斐とも言うべき、

最後の夢だったのかもしれません。

 

やがて桂一帯の地を手に入れたトシヒトは、

1615年より、重ねた思いを一気に吐き出すがごとく、

桂の地に10年をかけて『源氏物語』の世界を作り上げます。

 

※桂離宮内の「天橋立(あまのはしだて)」。

 

それこそが「桂離宮」だったんですっ!!

 


 

超長い前置き(笑)になりましたが、

この「作り手の思い」から桂離宮を眺めると、

見え方も感動も変わってきます♪

 

いよいよ、桂離宮の世界、入っていきたいと思います♪

 

西暦

年齢

(数え)

八条宮 智仁(としひと)親王 年譜

1600

22歳

師:細川幽斎より、「古今伝授※」を受ける。

※古今伝授:『古今和歌集』の解釈に関する秘伝の伝授。当時の文化人の最高の名誉。若くして宮中第一の文化人として尊敬されるようになる。

また、この頃より、度々『源氏物語』の講義を受ける。

1605

27歳

『源氏物語』五十四帖を読破。

1610

32歳

師:細川幽斎より、「源氏物語相伝※」を受ける。

※源氏物語相伝:現代で言えば博士号。これで名実ともに『源氏物語』の第一人者となる。

1615

37歳

桂の別荘(桂離宮)の造営を始め、古書院を完成。

1624

46歳

別荘をついに完成。中秋の名月に歌会を開催。

「雲は晴れ 霧はきえゆく

     四方(よも)の岑(みね)

 中空(なかぞら)清く

     すめる月かな   智仁親王」

心から満足した様子が歌に残っています。

1629

50歳

病から回復するも、春に生涯を閉じる。

 

いや~、長々と読んでくださり、

ありがとうございました~!!

 

次回から、きっと本編に入ると思います・・・たぶん。

 

Takio