★2019年に「MDS→AML」になった妻·移植までの日々を夫の目線から振り返ります★
■「臍帯血は未来からのおくり物」
抗がん剤を初めて5週間、”血球を上げるにはバナナが良い” 闘病仲間から聞いた都市伝説を信じて、妻はバナナを食べながら粘り強く待ったが、結局よい血球は上がってこなかった。
私はこの間、朝に会社のデスクでLINE画面を見つめながら吉報を待つ、1日おきに朝の採血の結果に一喜一憂するそんな日々は終わった。
「一時退院して子どもたちと過ごしたかったけど…」。好中球が低空飛行のママの為、感染せずに万全の体調で移植に望むためには、このまま移植を迎えるしかなかった。
ICで伝えられた20日後の移植日。「少ない細胞」「異形細胞」「「放射線」「「前処置」「キロサイト」「エンドキサン」「致死量」「AB型」「男の子」「関東」「day40」「不生着」「バックアップ」「環境が変わらない骨髄」「生存率」… 次から次に投げかけられるワード。隣にいた私でさえ逃げ出したい衝動にかられる…。妻にとってはとてもじゃないけど、受け止め切れないほどの”恐怖”であっただろう。
そして始まった様々な検査。レントゲン、CT,口腔外科、眼科、婦人科、医療を支えてくださる皆さん、そして私たち家族も、いよいよ移植へと動き出していた。
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ある本の中で先生は言う「臍帯血移植はタイムマシンみたい」。今、生まれたばかりの赤ん坊が、未来の誰かを救う…。過去ののび太を助けにやってくる”ドラえもん”とは反対だ。
赤ちゃんの臍帯血には、誰かの細胞を再生する力がある…。妻は二人の子供を大学病院で出産した時に臍帯血を提供した。もしかしたらこんな日々を想像していたのかもしれない。そして、私たちの子供たちの臍帯血が、誰かの役に立っているかもしれないと思うと少し神秘的な気分になった。
特に発熱することもなく、幸いなことに妻は万全のコンディションで”移植当日”を迎える事ができた。朝11時から始まった移植。妻の体内に注入されていく臍帯血細胞。話に聞いていた「磯の香り」を感じる事なく、ほんの10分のあっという間の不思議な時間。
血液型は妻と同じのAB型の臍帯血。「妻の体内ですくすく育ちますように」。私は、拒絶する事なく彼女の骨髄に根付いてくれることを心から祈った。
(骨髄移植と違い臍帯血移植の不生着は1割ほどあるためとても心配でしたが、無事21日後に生着。早くも遅くもない一般的な期間を経ての生着でした。感謝)
ちなみに、臍帯血の輸送費用は現金で8万円必要でした。。どんなプレミアムなヤマトやねん!と思っていたら会社の健保に言えば戻ってくるかもと言われ申請したら全額還付されました。よかったよかった。