★2019年に「MDS→AML」になった妻・移植までの日々を夫の目線から振り返ります★
ママが入院して、「病院」と「子供の世話(当時3歳、6歳)」を、義母と一日オキに交代して行う事を決めた。
少なくとも2日に1回は妻に会えることとなる。
そして下の子が生まれる前から単身赴任だった私は、初めて2人とガップリ四つの生活に…。
一人暮らし歴が15年以上の私は家事は大丈夫(と思っていた)。掃除洗濯、グラタンとかご飯作ったり、寝かしつけもまあまあ、普通にできるだろうと甘く見ていた。
ただ始めてみて驚いた… 。子供のイベントが「多いこと、多いこと」。突然の熱に、お約束通りに痛くなる歯に、中耳炎に予防接種…。病院だけでない、体育参観に作品展、バザーや新学期の準備に、毎日の宿題の確認まで…。次々に襲ってくる子供周りのやることの嵐。(多くは義母がやってくれたものの…)育児を妻に丸投げしていた私…。これを一人でこなしていた彼女は正直凄いと思った。
週末は、いつもお昼はガストなどへ、午後は公園や行政の子どもイベントなど、二人が喜びそうな所へいった。いつも通りの子供たちに「笑顔」がある生活を。それが妻の願いだ。(ぎりぎりコロナ前)。
幸い会社がかなり配慮をしてくれ、突発的な熱などで家庭を優先させてもらえすごく助かった。他の子はママが来てるけど、体育参観にはパパがしっかり行けたし、治療の励みになる事を願い、撮影した子供たちの元気な姿を、ママに届けることもできた。
こんな10ヶ月が続き、子供たちはパパにベッタリ(と思っていた)…。「主夫道」も板に付いてきた僕であったが、妻が退院すると子供たちは何事もなかったかのように「ママー、ママー」と…私に一才寄り付かなくなったのであった。。(パパは臭いと)
※他の子の作品は、海や山へ行ったりの「夏の思い出」…。でも、息子の作品タイトルは「パパとドーナッツ屋さん(ミスド)に行った」…。それを見てさすがに申し訳なくて涙が出た。 (息子よ、コロナが収まったらハワイに行こうな。ハワイに)
■パパのご飯食べてくれてありがとね
■懐かしき主夫業