★2019年に「MDS→AML」になった妻・移植までの日々を夫の目線から振り返ります★
2019年9月21日。入院していよいよ本格的な治療が始まることとなった。
先生からはまずは3週間。もし抗がん剤をやって、悪い細胞が減って良い細胞が戻ってこなければ、そのまま移植に進むかもしれないとは言われていた。(結局、悪い奴らは減ったけど、好中球が戻ってこず、一度帰宅すると感染症のリスクがあるため、そのまま移植となった)
妻は、入院前に子供たちに、「ママは1ヶ月病院にお泊まりになったからいい子で待っていてね」と伝えて納得させていた。
しかし、入院してすぐに、二人ともママに会えないことにぐずり始め、案の定、まず下の子(年少)が39度の発熱。それが治ったかと思いきや、その2日後には上の子が同じく39度の発熱…。
僕は狼狽えた…。想像はしていたものの、目に見える形でコレまで当たり前のように近くにいた「母親が家にいない」現実。義理の母が有り余るほどお手伝いをしてくれて本当に助かったが…。
子供たちが感じている寂しさ。下の子はまだ幼すぎてよくわかってなかったが、当時小学生に入ったばかりの上の娘が情緒不安定のなり、夜中にうなされ壁を蹴ったり、泣き叫んだりと精神状況が特に心配だった。
幸いなことに、入院した週の週末に日赤病院が地域医療の啓蒙活動として年に1回開催している「子供病院体験会」が開催され、従兄弟と一緒に参加をし、娘はママがどんな治療を受けているかを身をもって分かったらしい。
そして、少しの時間ならとママにも会うことができたが… 続く