★2019年に「MDS→AML」になった妻・移植までの日々を夫の目線から振り返ります★
「父が救急車で運ばれた」。2019年夏、貧血気味の妻と子供と家にいた日曜、母からLINEが入った…。
78歳の父は数年前から認知症っぽい症状があり、施設を出入りしていた。数日前、変な事を言うからと母が病院に連れて行くと、脳の周りに水が溜まっている事が判明。
しかしお年寄りにはよくあることと言われ、自宅で経過観察をしていた。ところが突然倒れた。
私は妻と子供たちを残して、病院へ向かった…。車を運転しながら、「妻の治療がこれから本格的に始まるのに、父さんもかよ…」。率直な気持ちだった。
タクシーで先に到着していた母から、脳の周辺に溜まった水に血が混じってきていたため、それを抜くために手術に入ったという。
3時間ほどで手術は終わった。先生の話では、朝にはおそらく目を覚ますとの事だったが、その後、父は目を覚ますことはなかった。血を抜くまでの間に脳がダメージを受けてしまい脳梗塞を起こしたことが原因だった。
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意識を取り戻すことがもう無い父は、このあと1年、様々な病院を2-3ヶ月ごとに移動しながら過ごした。恐らく母はその度たいへんな思いをしただろう。(私が妻のことで手一杯なことを知っているから、母は父のことで連絡をしてくることはなかった)
お見舞いに行くたび、私は父の爪を切った。話しかけてももう返事をしてくれない。でも私は、妻の闘病の状況を報告をしては、見守ってねと声をかけ続けていた。
妻の移植前後は、かなりキツくてメンタル的に負けてしまいそうだったが、懸命に息をしている父の懐かしい匂いに、「負けてはいられない」、何故か前を向くことができた。
結局、延命治療や胃ろうは、かわいそうだからとの母の意思でしなかったため、父は翌年のお盆に静かに旅立った。
その頃、妻は移植がうまくいき順調な9ヶ月目を迎えていた。私の生活も少し落ち着いてきていたからこそ、私は静かに父の死を受け入れることができた。
兄弟3人を育てるために、毎日懸命に働いてくれた父。無常の愛で私たちを育ててくれた。そして、静かにずっと僕らを見守っていてくれた。ありがとう父さん。
30歳頃の父