「置かれた場所で咲きなさい」というフレーズに、私は違和感を覚える

 

これは、シスター渡辺和子さんの国民的ベストセラーエッセイのタイトルだ

 

橘玲氏の記事で、閉塞的な日本では『置かれた場所で咲きなさい』や『嫌われる勇気』という本が人気だと言っていたのが興味深くて、この2冊を読んでみたくなった

 

 

このフレーズは、シスター渡辺さんが36歳にして大学の学長に任命され、その若さで組織のトップに就いて苦労している中で、その様子を見かねた神父さんから受け取った手紙にあった詩の一節だ

 

若くして学長になったことで、周りからの嫉妬の的となり、挨拶してくれない、分かってくれない、ねぎらってくれない、と不遇の環境だったようだ

 

◯◯してくれないと、周りのせいにして、不満ばかりだったシスターは、この「置かれた場所で咲きなさい」という一節に、自分が環境の奴隷となっていることに気づいた

 

自分が変わることのみで今の環境を変えられることに気づき、笑顔で幸せに生きることで、周りも幸せにしようと決心した

 

そうしたら、教職員も、学生も明るく優しくなった

 

 

ここまでは、リーダー論の話しだと思った

 

組織はリーダー次第だから、学長という立場の渡辺さんが変わるしかない状況だったと、私は理解した

 

自分の経験に当てはめてみても、学校に行かない娘にイライラしたり、学校に行くよう娘を変えようとしても、うまくいかないどころか、お互いに擦り減るだけだった

 

私が変わることで、娘も変わった、って本当にこの本を読む前に書いたばかり…

 

 

学長の渡辺さんと母としての私は、全く次元が違う立場なのに、その場の雰囲気を作る人ということで同じで、そこで咲くしかない、という共通点があるのは驚きだ

 

 

そして、シスターは自身の経験をもとに、生徒にも「置かれた場所で咲きなさい、咲けないときは、下へ下へと根を張りなさい」と説いた

 

それが、本のタイトルにまでなった

 

 

私が「置かれた場所で咲きなさい」というフレーズに違和感を覚える理由は、我慢を強いられている感じするから

 

フレーズのインパクトが強すぎて、我慢と忍耐を美徳とする感じが前面に出ている

 

でも、このフレーズはリーダー論としては、いいな、と思う

 

本を通して、私が学んだことは、「自分のリーダーは自分であれ」ということだ

 

 

この記事を1週間ぐらい書き直してたら、最初嫌いだった本が好きになってきた