不登校の娘は中学受験を通して
キラキラの「ふつう」を目指した
かなりがんばった
だけど
とあるきっかけで糸が切れて
つらくて撤退した
いま振り返って
勇気ある撤退だったと思うし
撤退してよかった

娘:4月から中学生/小学校6年間不登校/AS
夫:一家の大黒柱
とりとめないので、ざっくり言うと…
- 「ふつう」の進路は「ふつう」じゃなかったと思いきや、やっぱり「ふつう」だった!?
- 私の不登校が不安だったわけは、「ふつう」から外れたから
- 「ふつう」かどうかは、外からの評価だ
娘の不登校と中学受験をきっかけに
日本も学歴社会だし
教育格差が気になるようになった
教育格差とは、「生まれ」によって最終学歴に格差があることと定義される
「生まれ」とは、出身家庭や出身地域そして性別という本人が変えることのできない初期条件のこと
不登校の親としては
「不登校」になることによる教育格差があると思う
不登校になることで
学びの機会が遠くなったり
学びにお金がかかったり
そもそも勉強できるようなメンタルでなくなったりする
教育格差の本を読むようになって
たどり着いた松岡亮二氏の記事
https://web.sekaishisosha.jp/posts/8049?
中学生1000人の卒業後の進路が
細かく示されている図が興味深い!
これまで「ふつう」と思ってきた進路は
本当に「ふつう」なのか!?
と考えさせられた
「ふつう」って
みんなと一緒で
ありふれていて
平均的なもの
という意味
いわゆる「ふつう」の進路とは
中学校を卒業して
高校へ進学し
大学に入学・卒業し
就職した会社に
まあまあ長く勤める
そんなストレートな進路
でも、この「ふつう」コースに進むのは
全体の16%のようだ
思ったより少ない!
「ふつう」じゃない!?
・・・しかし
図をよく見てみると
このストレートコースの16%が
1番大人数のグループのようだ
そう言えば
英語のマジョリティ(多数派)と
マイノリティ(少数派)は
数の問題だけじゃなくて
優位にあるか否か
と言う意味もある
「ふつう」コースに進む人は
全体からみると少人数だけど
多数派だ
「ふつう」がいい
と言うのは
実質は
少人数で
多数派の
優位なグループを
目指すことだった!!!
よく考えてみれば
優位にある人は
少人数だ
ピラミッドを思い浮かべてみれば
イメージしやすい
もはや何が「ふつう」か分からん!
私の結論!
不登校になると
「ふつう」コースから外れる
これが私の不安の根本だろう
子どもが大学を卒業して
定職についてくれれば
親としては安心だ
でも私が安心するために
娘の「ふつう」の進路を考えても
うまくいかなかった
あてもなく書き始めて
気づいたことは
「ふつう」かどうかって
私は外からの評価を
気にしてるんだ
外からの評価を気にしてばっかりだと
身動きが取れなくなっちゃって
苦しい
いい気づきになった!
書いてみるっていい!