お母さん:40代なかば/週3派遣

赤ちゃん:4月から中学生/小学校6年間不登校/AS
お父さん:一家の大黒柱

 

不登校になってやってよかったこと

 

児童精神科に行った

 

不登校保護者会に行った

 

不登校支援センターに行った

 

3つだけに絞ってみた

 

 

 

 児童精神科に行った

 

どうにも学校に行かないので、小3の時に担任の先生から校長先生と児童支援の先生を交えてお話ししましょうと言われました

 

夫と一緒に校長室に向かいました

 

何を話したか忘れましたが

 

学校 病院に行ったことはありますか?

 

と、遠回しに受診を促されました

 

は?

 

失礼じゃないかと思いました

 

腹を立てながら学校を後にしました

 

それから1年ぐらいそのことはほったらかしでした

 

その時は、娘に発達の特性があるとは思わなかったので

 

 

 

4年生になっても学校に行きませんでした

 

全く行かないわけではないのですが

 

必死の働きかけでピンポイントで行く時もありました

 

いよいよ病院という最後の砦に行くかと心に決めました

 

スクールカウンセラーに相談して児童精神科を紹介してもらいました

 

コロナ禍ということもあり

 

いつもは初診の予約は半年待ちらしいところ

 

たしか1ヶ月先?の予約をとれました

 

一体娘に何と言って病院に連れて行くのか???

 

スクールカウンセラーや病院の受付の方にアドバイスをもらって

 

なんて言ったか忘れましたが、娘は普通について来てくれました

 

たくさん聞き取りがあって

 

WISCも受けて

 

ASと診断されました

 

手帳をとるほどではないと言われました

 

 

 

ASって何?

 

何か分からないまま帰りました

 

分からなけば質問するものだと思いますが

 

質問しませんでした

 

ASが何か分かりませんと言う私に

 

先生は特に説明はしませんでした

 

今思えば神がかった対応だったと思います

 

知りたくない人にあえて説明しない

 

ということだったんだと思います

 

夫はそれから自閉症スペクトラムの本を買って勉強してました

 

私にすすめてきたけど、読みませんでした

 

診断を受け入れられなかったからだと思います

 

娘とは目が合うし、人に優しいし、障害なんてないと思いました

 

 

 

診断結果を学校に伝えるとき

 

夫と意見が合いませんでした

 

診断名が出てるのだから

 

私は学校に言えばいいと思いました

 

どうしていいのか分らないから

 

いろいろなお子さんを見てる方から

 

アドバイスをもらえばよいのではと思いました

 

診断を受け入れられないけど

 

人に言うのはOKというめちゃくちゃだったな・・・

 

そもそも学校に行かないので対策もしてもらえないのですが・・・

 

夫はレッテルを貼られるのが嫌だと言って診断名は言わない、と言い張りました

 

最終的には娘の個人情報なので、言わないということに納得しました

 

私はこういう日本の隠す文化が嫌です

 

隠しても何も解決しない

 

夫と私だけで抱えて

 

誰にも言えず

 

誰にも理解されず

 

ただ耐えるだけ

 

誰にも言わないから

 

誰からも情報は入ってこない

 

孤立無援と思って

 

悲しくなり

 

孤軍奮闘と思って

 

常に自分を奮い立たせていました

 

こう書いてるだけで目に涙が浮かぶ

 

 

 

診断があったものの

 

カウンセリングやトレーニングをすすめられるわけでもなく

 

様子見になり

 

不登校をどうしたらいいのか

 

迷路の中にいるようでした

 

 

 

ASについて本を読もうと思ったのは

 

娘が死にたい、と言った時からです

 

診断があってから1年は経っていました

 

読んでみて、ASには特性に濃淡があり

 

ひとりひとり特性も違うとありました

 

障害というより特性

 

と学びました

 

 

 

本を読んで

 

学校がうるさい、という娘をやっと理解できました

 

聴覚過敏でした

 

考えることが極端だな、と思ってきたことも

 

そういう特性と受け入れることができて

 

無駄にイライラすることがなくなりました

 

イライラするよりも

 

娘が感じたり考えたりすることはそのままでいいんだ

 

と思えるようになりました

 

先生からいただいたアドバイスは

 

「話せることで自分の気持ちに折り合いをつけられるようになります」

 

でした

 

私ができることは

 

聞き手になるだけだ

 

どんな聞き手になったらいいかは

 

親業で勉強しました

 

 

 

かかりつけの児童精神科ができたことで

 

娘が死にたいと言ったときも

 

すぐに連絡ができる病院があってよかったです

 

 

 

先生と話すと診察というより

 

人生相談をしているようです

 

私が気付けないことを

 

すごいピンポイントで言ってくれて

 

ゆったりとした心構えになれます

 

先生は、「大丈夫」とは言わないです

 

そう断定できないからだと思います

 

そういうスタンスで話しを聞いてくれるので

 

信頼しています

 

これまで頑張ってきたことは悪いことではないし

 

今の状況も悪くはない

 

と言われて診察室で泣きました

 

 

 

娘が先生にどれだけ心を開いてるかどうかは別です

 

大事なのは先生と娘の相性です 滝汗

 

 

 

 不登校保護者会に行った

 

私がなかなか不登校を受け入れられないので

 

不登校関連の情報につながろうとしませんでした

 

3~4年の時

 

やっとのことで役所の不登校支援ページをみて

 

不登校保護者会なんてあるんだー

 

と知りました

 

どこかの大学の教授のお話しと

 

保護者同士の情報交換があるみたい

 

行ってみて驚いたことは

 

参加者が大勢だったこと

 

100名以上いたように見えました

 

こんなに同じ悩みを抱える方がいることを

 

はじめて知りました

 

教授のお話しも

 

興味深かったです

 

たくさんのお子さんを見て来たんだろうな

 

と思いました

 

やっと不登校の情報につながりました

 

 

 

 不登校支援センターに行った

 

役所の不登校支援ページには

 

子どもが通う支援センターの紹介もありました

 

4年生の時に、週一で工作をするクラスに通いました

 

支援員の方々はとても優しくて和やかで

 

こんな場所が運営されていることに

 

安心感がありました

 

子どもが工作をしている間は

 

待合室で保護者同士でおしゃべりしてました

 

初めて会う方と

 

不登校について分け隔てなく話せて

 

ほっこりする時間でした

 

中学校はどうするか?

 

という話題もあがりました

 

娘より学年が上の子を持つ親御さんは

 

不登校に理解のある中学校に行くと言っていました

 

 

 

教えてもらった2校を

 

こんな学校があるよ

 

と娘に話したら

 

絶対に嫌だ

 

と言いました

 

その時は、普通の私立中学を目指してました

 

この2校は最後のカードとしてずっと持ち続けていました

 

私立受験を目指してきましたが

 

受験勉強が手につかなくなってしまいました

 

最終的に受験したのは

 

この時教えてもらった一校でした

 

この縁に感謝してもしきれない