私:40代なかば/週3派遣
娘:小6/小1から不登校/AS診断あり
夫:省エネモードの会社員/輪島出身
義母:80歳/認知症
大晦日から夫の実家に帰省した。
80歳のお義母さんは、認知症で、一人暮らし。
新年がおめでたいと思ったのは、大地震が起きた夕方4時過ぎまで。
のんきに、ドラッグストアで買い物していた時、少し大きめの地震があった。
これくらいなら大丈夫かな、と思っていたら、地面から経験したことのない衝撃を感じた。
揺れていたのか何だったか分からない。
店内はガタガタガタすごい音を立てていた。
棚が倒れてきやしないか恐怖。
途中で店内の電気が消えた。
店の外に出ようとしても、歩くと転びそうになって、身を低くして、転がるように外に出た。
立とうとすると、ひっくり返って膝とおしりをついた。
駐車場のアスファルトにヒビが入って盛り上がっていた。
家には、お義母さんひとり。
夫は、半ばパニックで、車を走らせ家に向かった。
急ぐと危ない!と私は叫んだ。
輪島の街の姿が一変していた。
家が傾いたり、つぶれたり。
鉄筋コンクリートの建物は、ポッキリ倒れていた。
家の前では、アスファルトが何重にも積み重なっていて、これ以上車で近づくのは危ない。
車を乗り捨てた。
津波警報がでた。
余震が何度もあった。
傾いたり、潰れたりしている家々の間を歩いて進んで、お義母さんの元に向かった。
角を曲がったら、家は立っていた。
お義母さんは、何も持たずに、家の外で立っていた。
津波警報が出ているので、とにかく高台に向かわなきゃ。
高台に来たものの、墓地がすぐそこで墓石が落ちてこないか怖かった。
余震は、地面はそんなに揺れないのに、奥底でドーンと言う感じ。
何なのこれ。
地球でなにかが起きている感じ。
気がついたら、火が上がっていた。
火事は、こっちまで来やしないだろうか。
しばらく高台にいたけど、津波は到達したようだった。
だんだん、トイレにも行きたくなってきた。
小学校の体育館に灯りがついたので、トイレしに降りた。
期待は見事に裏切られ、水は流れないトイレだった。
とりあえず、体育の授業で使うマットを私たち4人の陣地にした。
着の身着のままとは、多分このことで、お義母さんの上着と靴を持って、家を出るときに夫が掴んできたお煎餅だけが手持ちの食料だった。
飲み物はなかった。
どうやって、この夜を明かすのだろう?
夫が、家まで、毛布と掛け布団を一組取りに行ってくれた。
ひとりで行かせるわけにはいかないので、娘も一緒に行ってもらった。
9時には娘が眠いと言い出したので、横にさせて、布団をかぶせた。
認知症を患っているお義母さんは、ずっと見当違いなことを言い続ける。
体力を温存しようと思い、夫と私は交代で横になって少し眠った。
眠ると少しスッキリした。
夜中に、お腹がすいて、お煎餅をかじった。
美味しかった。
朝まで、7時間。
何度も目が覚めた。
4人で使うには狭いマットでは、寝返りもままならない。
お昼から水分は取っていないのに、何度もトイレに行く。
寒い。