私の娘は、小1から不登校が始まり、現在小6。
子どもが不登校になってから、私は困ったり、不安だったり、心配だったり、悩んだり、辛かったり、苦しかったりしてきた。
でも、4年もかけて、やっと、やっと、やーーーっっっっっと、気づいたことがある。
*
小5の秋、娘は自殺についてのサイトを私のスマホで見ていた。
私のスマホでネットサーフィンした後は、いつもはそのページを閉じているので、これはわざと開いたままにして、私にメッセージを送っているんだと直感した。
自殺したい人に絶対にしてはいけないことは、自殺を引き止めることだと、親業の講座で聞いたことがあったのを思い出した。
(引き止めることは、自殺したいほどに辛い思いをしていることを分かろうとしない言動になったり、その辛さを否定してしまうことになったりするから、と理解している。※私は専門家ではないので、一個人の信条です。)
小学生で自殺したいだなんて、天地がひっくり返ったような気持ちの私から出てきた言葉は、
「そんな怖いことは1人でさせられないから、やる時は一緒だよ。」
だった。
娘の反応はなんとも言えない感じだった。
どう思ったんだろう。
ここは娘を説き伏せる場面ではなく、娘の話を聞く場面だと思った。
娘は元々あまり自分の気持ちを言葉にしないので、私から、どういう気持ちなのか選択肢を出してみようと思った。
「疲れたの?」
と聞いてみると、娘はうなずいた。
中学受験を目指して通っている塾のクラス分けのテストで、クラスが一つ落ちてしまった直後で、がっかりした様子だったので、受験勉強のことかと想像した。
不登校から抜け出すために、自分が行きたい中学校に行くという気持ちでがんばってきた受験勉強。
夏から秋にかけて、習い事のバレエの発表会があったり、学校の宿泊体験の行事に行ったり、心も体もがんばり続けてきた。
だんだん塾から足が遠のいてきたところに受けたクラス分けのテストで、クラスが一つ落ちてしまった。
目指している志望校に入るためには、クラスをキープするか、できれば上げていかないといけなかった。
タブレット上で先週末のテストの答案用紙を指差しながら、
「テストがんばったね、ここもここも書き込めててすごいよ。部分点ももらえてる。」
と、まずねぎらったつもり。
「何に疲れたんだろう、偏差値とかクラス分け?」
「受験勉強かな?」
「塾が嫌だ?」
受験勉強やテストのストレスからくる疲れかと思って聞いてみたけど、娘は首を振った。
なんだろう、もっと大きなことなのかな。
「人生?」
と聞いたら、うなずいた。
「人生に疲れたんだね。」
と、言ったら、またうなずいた。
私の目からとめどなく涙が流れ出て来た。
小学生で、人生に疲れて自殺したいだなんて、衝撃がすごすぎる。
私の体が鉛になった様な感覚になった。
どれだけ辛いんだろう、娘の辛さを私が代わってあげたいと思った。
でも、どーーーーーがんばっても、それはできないことに無力感を感じた。
私は無力だ。
そこで、やっと気付いた。
そうか、不登校であることに、娘本人が困っているんだ、苦しいんだ、辛いんだ。
やっと、やっと、やーーーっっっっっと気づいた。
これまでは、私が不登校に困って、ずっと空回りをしてきた。
不登校をどうしようと、私がいっぱいいっぱいで、娘の心の中を想像してみることができていなかった。
娘が自殺を考えるところまで追い詰められた状態になるまで、とんでもない取り違いをしていた自分をぶん殴りたい。
*
学校は行くもの、と思っていた私は、何とか娘を学校に戻そうと、学校との関わりが途絶えないように試行錯誤してきた。
それでも学校に行きたがらない娘をみてきて、学校に戻すのを諦めたり、諦めきれなかったりしてきた。
小3の頃からこのまま学区内の中学校に行っても同じ感じかな、と思い始めたので、私立の中学受験を考え、娘もそのつもりになった。
受験するなら塾だ、ということで集団塾に行き始めたけど、数ヶ月で、「学校と同じ感じがする」と言って、行けなくなった。
小4になって、個別指導の塾に通い受験勉強を再開し、通いきった、がんばった。
小5からは、保育園の時の友達もいる集団塾に通い、秋までがんばってきた。
塾ではクラスに新しい友達ができたり、学校のクラスメイトがいたり、授業後はおしゃべりを楽しんでいる姿を見て微笑ましかった。
月曜から土曜まで、学校には行かないけど、夕方は塾とバレエに交互に通って、不登校でも毎日同年代の子と交流があって、順調に過ごしてきたと思っていた。
そんな中での出来事で、全てが止まったかのような気持ちになった。
娘が自殺したいだなんて、私の心は耐えられない。
いっそのこと地球ごと滅びてほしいと、自分勝手すぎることを願った。
*
ふと、いつだったか、ママ友が言っていたことを思い出した。(娘が不登校になる前かな。)
「親としてできることなんて、美味しいご飯を作ってあげることぐらいじゃない。」
って。
先輩ママに、娘の状況を話したら、「まずは、美味しいものを食べさせてあげて。」と教えてくれた。
食べ物の力を信じて、とにかく美味しくて栄養のあるご飯や、お楽しみのおやつを作りまくって日々を過ごした。
その頃、娘は、
「今は、宇宙空間に放たれた感じ。で、時々美味しいものが届く。」
と言っていた。
娘を地球に生還させなきゃ。
どうやって???
そのころの私の記憶は、ご飯とおやつを作ったことと、娘が生きているだけで幸せ、という気持ちと、娘を失うのではないかという恐怖。
*
とにかく、不登校に困っているのは、娘本人だ。
私じゃない。
私が不登校を抱え込んでも何も進まない。
これまでのとんでもない取り違い、勘違い、自己中心的な思い込み、に気づけたのは、親業を勉強していたおかげだと思う。
親業とインストラクターの先生に感謝してもしきれない。
この気づきがが、私が変わる転換点だ。