写真は、『安田記念時のダイイチルビー』
2000年から、2007年までは、『JRA年間キャンペーン』とは疎遠になりました。
その間に、仕事が変わり今の仕事になるてんやわんやの時期でしたし、また今の仕事になると当時は、昼12時から夜11時まで仕事で、職業柄土日も休めなかったのですね。
そちらの方が忙しくまた楽しくなったので、自然と競馬とは疎遠になったのです。
もう一つは・・・
それまで私のサイン読みの基準となっていた、新聞に載るJRAインフォメーションの文章が突然終わりを告げたのです。
そうそう、2番目に基準としていた『365日花の日』サインも突如として終わったのです。
これはやはり、21世紀になったので、古いサインを終わらせたのだと思いました。
『ユダのサイン』も『黒枠が死に枠』のサインも終わりを告げたのですからね。
なので、やる気を失くしたのもあるのですね。
でも、大きなレースは少し買ったり観てたりはしてました。
その時代から、携帯電話で電話投票が始まりましたからね。
知り合った友人が、それをやっていたので自分がやる時は乗っかっていたのです。
これは明らかに、売り上げが減少して来たので、天敵の『呑み屋(暴力団)』潰しを国家権力を使い実施したのですね。
話を戻して・・・
それで、新しいサインがあるはずだと考えた挙句に発見したのです!
それからの基準となるサインを・・・
そうです!
『元素記号サイン』!なのでした。
これも、『カタカナ明記』でしたからね。
これには、大喜びすると共に、自分の頭の良さを実感し大いに自惚れたのです。
さらに『カタカナ明記』を探していくうちに、またまた貴重なサインを見つけたのです。
そうです!
『聖人の日サイン』!でした。
この二つと『天皇』『今日は何の日』サインと合わせて『四大サイン』で馬券に反映させることに決めたので、あまりテレビでのJRACMを観なくなったのです。
なので、『年間キャンペーン』も研究しなくなったのです。
だからこの間の競馬は、前に載せたのもありましたが、これからもちょくちょく載せたいと思っています。
殆どこの『四大サイン』で考えたてました。
でも仕事で疲れて、結構 競馬はおざなりになってたのが、正直なところでしたね。
この項の締めに、一つ『インフォメーション』の解き方を・・・
あれは、『ダイイチルビー』が勝った1991年の『安田記念』の時でした。
その頃は競馬を始めたばかりで、この『新聞インフォメーション』だけを頼りに研究して馬券を買っていたのですね。
『印象鮮烈、速さで魅了』 でした。
競馬先輩やサイン読み仲間となんやかんや議論し合って導き出したのが・・・
『印象』は、第一(ダイイチ)印象!とか言いますもんね。
『鮮烈』は、羊ではなく『烈』がレンガでしたので、同じレンガの『黒』枠だ!と・・・
黒枠(2枠)の『ダイイチルビー』が物の見事に、1着! でした。
溜飲が下がりましたね、ますますのめり込んだ記憶が蘇りました。
2着には、『ダイタクヘリオス』が・・
『ダイ!ダイ!』で来たのです。
その前の『4月7日』の『桜花賞』での『ヤマ!ヤマ!』に続いてなのです。
(ヤマノカサブランカとヤマヒサエオリア)の6枠)
この時、あの『二子山サイン』に気付けばよかったのですが・・・
なにぶん・・まだサインに慣れてなかったのです。
『桜花賞』の『4月7日』の戦艦大和が沈んだ日に、一番人気の『4枠7番 イソノルーブル』が沈んだので、『4枠7番の一番人気は沈む』というサインに気づいたのでしたね。
安田記念の時にも、その頃あった『単枠指定』で、一番人気(武豊騎乗)の『バンブーメモリー』が『7枠14番』にいて、物の見事に沈んだので、『裏枠』もあるのだ!と気付いたのです。
もう一つ・・・
『ダイイチルビー』は、『黒枠(死に枠)』で勝ったのだから、次のG1(この場合は、秋のマイルチャンピオンシップ)で2着に絡んだのはおかしい筈なのですね。
沈まなければならないサインなのですから・・
『マイルチャンピオンシップ』もそういえば『ダイ、ダイ』の双子で決着したのでした。
その理由は・・・
『安田記念』で『出走取り消し馬』がいたからなのですね。
この『メインレース(G1)での出走取り消し馬が出る』といのは、それに関連するサインの取り消し!だと後で気付いたのです。
なかなか奥深いものがありましたね、彼等の仕掛けには・・・
さて・・次に参りましょう・・・・
