写真は、『ウイニングチケット』
次は・・・
1992年と1993年の・・
『あなたと話したい競馬があります』
高倉健です。
そう前年の『有馬記念』で大失敗しましたあの『小田剛一』です。。
やはり『小田(おだ)』ですので、『織田信長』に関する歴史もサインとなります。
さて、その年間テーマからは・・・
『あなた』からは、貴田つまり『貴乃花』となり、第65代横綱ですので第65代天皇の『花山(かざん)』天皇で諱は『師貞(もろさだ)』もサインとなります。
もちろん!あなたからは『you』つまり『U』で、天皇馬券や一番人気の馬もサインとなります。
数字に直すと『21』ですので、この数字もいろいろなサインとなるのです。
この時は、まだ『元素記号サイン』には気付いていませんでしたから深くは書きません。
『話し』からは、『874』となり『19』か『4枠7番か8番』には入った馬が絡む、となります。
なので、第19代天皇や第21代天皇もサインとなるのですが、少し広がり過ぎるのでここでは割愛します。
で、1992年の『オークス』は、あの『マジスティックライト(マジックナイトと同じ)』を親に持つ『ニシノフラワー』を番外に沈めて、こちらを動揺させたのでしたね。
枠番連勝が『1-3』の天皇馬券で決まり、田原成貴騎手が2着に絡みました。
この日、ある伝(つて)で 関西の新聞インフォメーションを観たら(関東と関西ではインフォメーションの文章が違っていたのです)、おかしな事が載ってたのです。
それは・・・
小倉競馬場の駐車場の事で、あまり古いので忘れましたが、何かの都合でその時間帯
は駐車ができない!と言った内容でした。
なんでこんな事を大々的に、目にとまるようにインフォメーションに載せているのだろう?と疑問に思ったのを覚えています。
やはりそれは、サインだったのですね。
何かのトラブルみたいな文章でしょう?
1着に来た馬の名前が・・・
『アドラーブル』!
なんと!名前に『トラブル』が入っているのです。
来た後気付いて、その場で愕然となったのですが・・・
さて・・『ダービー』ですが、その経過や結果は前に載せましたね。
悲惨な結末でした・・・
思い出すたびに、悔しさが・・・
一つだけ・・・
1着の一番人気の『ミホノブルボン』の騎手の名は、『小島貞博』で『師貞』の字が・・・
『花山』の名を持っていた『マチカネタンホイザ』は4着でした。
因みに、5着まで入選すると騎手や馬主や調教師などに賞金がでます。
年間のいろんなレースを書くと膨大なページが必要となりますので、オークスとダービーを主に載せますね、これからも・・・
翌年が・・・
オークスは、一番人気の『ベガ』が来ました。
そうです、前年の枠番連勝の『7-7』と同じ日本の総理大臣である『宮沢喜一』の『喜』をここでも使ったのです。
『ベガ』は、7月7日の七夕の織姫ですもんね。
これは本当に分かりやすかったです。
馬券的には、堅くて美味しくありませんでしたけどね。
前年のダービー馬の『トウカイテイオー』は、その前の年の『ジャパンカップ』の2着の外国馬である『オード』から発信するサインの該当馬です。
名前の頭と尻を逆にするとね・・
それで、1993年は前年の『ジャパンカップ』1着馬である『トウカイテイオー』がサインを発信したのですね。
そしてこの年のダービーで1着だったのが、『ウイニングチケット』でした。
頭と尻を逆にすればね。
『ー』と『ウ』は同じ意味です。
で、2着が『4枠7番(話し)』に入った
『ビワハヤヒデ』でした。
『ビワ』からは、琵琶湖であり安土桃山を連想させます。
『ハヤヒデ』は、『小早川秀秋』の『早秀』となり、連想されるのは『織田信長』ですよね。
なので、秋の『菊花賞』を制したのも必然!だったのですね。
余談ですが、『ジャパンカップ馬』のサインは2着から1着と変化したのでやはり、終わりを告げたのです。
そして・・・その年の『有馬記念』が翌年の『ダービー馬』を教えるサインに変わったのです。
気付いたのは、だいぶ後になってでしたけど・・・
なかなか難しいのです、あの頭脳軍団を見破るには・・・
兎に角、骨が折れましたねぇ・・・
上に少し書いた関西の新聞のインフォメーションですが・・・
その入手方法は、競馬仲間の友人が大阪に居て、当日の朝早くにファクスで送ってきてくれるのです。
関東には無い文章ですからね。
思い出すのは、『トウカイテイオー』の年の『秋の天皇賞』でした。
当日の関西版に『いざ!』という文字が出ていたのです。
私は英語に強かったので、『いざ!』というのは『レッツゴー』だとすぐ分かったのです。
なんと!『レッツゴーターキン』という馬が出ていたのです。
11番人気ですよ!
喜んで頭にして人気馬に流したのです。
結果は・・・
なんと!『レッツゴーターキン』は1着!だったのですが・・
またもや・・2着も人気薄の『ムービースター』で騎手は『武豊』・・・
当たる訳ないだろう!
この時しみじみ思い出したのです、競馬を始めたばかりの時、師匠である先輩の言葉を・・・
彼が言ったのは・・・
『天皇賞(春と秋)』で武豊が人気薄の馬に乗るときがビッグチャンス!だから絶対に抑えるのだ!
その時が、最初の人気薄馬騎乗だったのです・・・・
あぁ・・・・・
さて・・・次に・・・
