瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝7時から再放送されます。(再放送時間は2024年1月から朝7時へ変わりました)
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チクッとした思い出の続きです。
先生:「よく再利用されるのは過去において寂しかった経験なの。仏教が最も良くないと言っているのが怒りなの。もちろんそうなんだけれど、私はそれよりも寂しさの再利用が一番厄介だと面談をしていて思うの。自己否定がすごい。怒りは自己否定ではなく他人否定だから元気なのよ。」
年美さん:「そうですね。怒りはエネルギー湧いてきますよね。」
先生:「そうなの。いい悪いは別として怒りは生きる力にもなる時があるからね。人は寂しさの再利用をするの。そして自分を否定して自信がない。」
年美さん:「エネルギーが無くなりますね。」
先生:「過去に〇〇と考えたことがあるという経験を引っ張りだすんだけれど、幼い頃は全力で寂しがっているのよね。その再利用が大人になってもあるの。」
年美さん:「子供の頃は全力ですよね。」
先生:「子供の頃は本当にお母さんのスカートの端でも握っていたいほど寂しがるでしょう?その時の記憶を置いてきぼりにしてきた場合、特に理由がないのに落ち込んだりすることがある。置き去りにしている幼少期の寂しさが再利用していると考えて欲しいの。なので、まずはそこから手を打たないといけない。」
年美さん:「今のことではなくて過去のことを感じているんですね。」
先生:「それは仏教では過去の感情、怒りの再利用をしない手法がたくさんある。けれど、面談していて思うのは悲しみの再利用している人の方が辛いなって思うの。」
年美さん:「そうですね。悲しみや孤独の方が辛いですね。」
先生:「独特の虚無感があるわよね。なので自分で気づかないといけないのは、過去において思い出すと涙が出るような辛い思い出があるかもしれないので、それをまず見つける。例えば、さっき年美ちゃんに聞いて答えてくれた話は、大人になった年美ちゃんは痛手とは思わないから言葉に出せるの。でも、言葉に出せないものがあるから徹底的にケアして再利用されないようにメモリーに分類しないといけないの。」
年美さん:「分類できるんですね!」
先生:「できる!どうのようにするか。さっき年美ちゃんが話してくれた寂しさって何回人に話したことがある?」
年美さん:「ほとんど言ったことないです。親にもないですね。」
先生:「わずか数回くらいかな?数回でもいいんんだけれど、人に話をしたりノートに書いたりアウトプットをしたら完了していくの。だからノートに書いたらいいのよ。それを書くことによって寂しさという再利用はなくなるの。単なる思い出になる。」
年美さん:「その記憶を思い出したときに心がチクッとしたり落ち込まなかったら完了したということなんでしょうか?」
先生:「そうね。なんの感情もなくそのことを思い出せるのであればね。まず、気持ちがギュッとなることを思い出す。けれど、無意識が蓋をして思い出せないからその蓋を開ける。たとえ蓋をしていてもいつでも再利用されているからね。普段思い出さないように無意識たちが蓋をしているんだけれど蓋は簡単に開く。だからこちらから蓋を開けに行って、”あの時寂しいと思っていたな”というように、何度も何度もノートに書く。そうしたらそれが再利用されなくなる。
面談していると、その寂しさは今の私が感じているって思っているのよね。全然違うのよ。今のあなたが感じているんじゃないのよね。過去から持ち越している寂しさを、今の出来事にリンクして同じ感情を差し込んでいるだけなの。今のあなたは全然違う。過去の体験している感情を勝手に無意識が考えて反応しているだけで今の反応ではないの。」
年美さん:「探したらたくさんありそうですね。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
私がよく思い出すことは、小学校5年生くらいの授業参観日に母が来てくれて、その帰り道に言われた言葉ですね。その日から私の中で母が他人になり絶縁したというか、親子の縁を切るにはどうしたらいいんだと調べ始めたんですよね。
その日はグループになって紙芝居を作り保護者に向けて発表するという授業だったのですが、私だけ発表できなかったんですよね。私はそのことについて何とも思っていなかったのですが、母と一緒に帰宅中に
母:「ねぇ、クラスでいじめられているの?一人だけ読んでなかったでしょう?」
私:「別にいじめられてないよ。〇〇ちゃんが読みたいって言ってたから。」
母:「まぁいいけど。私が同じクラスだったらお前とは友達になりたくないからわかるわ。」
私:「・・・」
それを聞いた私はどう思ったかというと、まず、いじめに気づいてない人に気づかせるような事を言うのは大人としてどうなのか?そして、親が友達になりたくないっていじめている人の方を認めるって親としてどうなのか?こいつ親というか人としてダメだな。
この人には何を言ってもダメだな。親子の縁を切るにはどうしたらいいんだろう。家を出て二度と家に帰らないようにするにはどうしらいいんだろう。一人で生きていないとダメだなと決意した瞬間でした。言った母はきっと覚えていないでしょう。それくらい些細な出来事だから、でもだからこそ言われた方は覚えていて傷つく。一回だけなら気のせいかな?って思うけれど何度も言われると思い出が強くなるからね。
きっと、今書いていることは大した事なくて思い出せないような事が悪さしていると思うので、一度大自然の中にでも行って自分を内観してきたいと思います。
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瀧本先生から真解(鑑定)を学んでいます。数年後には立派な鑑定士になっていることを目標に免状をいただけるように勉強しています。鑑定士になった時はよろしくお願いします。