瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝7時から再放送されます。(再放送時間は2024年1月から朝7時へ変わりました)
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牛島満中将が自決した後のお話です。
先生:「自決された後はどうなったんですか?」
裕さん:「6月23日に降伏したのでその後は日本兵は捕虜となったんですよね。捕虜となって命は助かった。アメリカ兵は捕虜となったら日本兵を殺すというデマを流していたんですが、それは違っていて食事も与えられたり安定した暮らしができていたんですよね。けれど、本土の方はまだ降伏していなかったので、その後原爆が投下されたんですよね。」
先生:「原爆を落としたのは日本が降伏しなかったからなんですかね。」
裕さん:「そいういう感じですかね。トドメを刺された感じですよね。6月23日は部落や自治体で慰霊碑を持っているので夕方各地で慰霊祭があるんです。そこで小学生が作文を読んだり、戦争体験者が話をしたりしますね。」
先生:「戦争を体験された方の近くで戦闘機や米軍基地があることについては、どう思われているんですか?」
裕さん:「そこは時代とともに薄まってきていますね。私が20代30代の頃は自衛隊員は人間じゃないという扱いでしたね。沖縄に駐留している自衛隊員が沖縄の成人式に参加するとなったら、入り口で色んな人に『遠慮してください』って言われ、式典に参加できなかったんです。」
先生:「どうして?」
裕さん:「当時は自衛隊は人じゃないという扱いだったんですよね。結局、自衛隊=日本兵なんですよね。沖縄では日本兵は受け入れられない。当時は戦争を体験した人が多く生存していたので、学校の前や市民会館の前に立って自衛隊排除とかしていたんですよね。ですが、今は人が変わってきているので違います。」
年美さん:「それは日本兵が助けてくれなかったという想いからですか?」
裕さん:「そうですね。最後の捨て駒にされたという意識が強かったんですよね。実際に日本兵もたくさん祀られているんです。日本兵が頑張ったこともわかっているんですが、沖縄県民を守りきれなかったという想いが強いんですよね。
日本兵が手榴弾を県民に配って、何かあった時に家族で自決しなさいと言っていたんですよね。県民もそれは疑いもしなかった。アメリカの捕虜になったら悲惨な目に遭うので、それよりはということですよね。本当は捕虜になった方がよかったんですが、洗脳を受けているので多くの県民が手榴弾で自決したんです。
私の母は手榴弾を盗まれてしまって結果的に生き残ってしまったんですが、生き残ってしまった後ろめたさがすごいんです。死ねなかったことを引きずって生きている人もいるんです。手榴弾で家族で自決しても一人だけ生き残ったり、片腕だけなくなって生きている人もいる。そういう人たちが何人もいる。そういう人が私の親世代なので、何人もの人からそういうリアルな話を聞いてきましたね。
私は、今の話を自分の子供たちに慰霊の日に話すんですよね。鮮度が薄れてしまうのは避けられないですよね。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
自衛隊員が人の扱いを受けていなかったという話はびっくりしました。本土と沖縄の違いがこういうところにもあるんですね。
沖縄は自決方法が手榴弾だったんですね。いかに戦争兵器が身近にあったのかという表れですね。確か本土は青酸カリやヒロポンといった薬が配られていたと聞いたことがあります。特にヒロポンは精神系の薬で、人を殺すことに躊躇しないようにとのことで配られていたと聞いたことがあります。ビートたけしさんだったかな?戦後の話をされていた時に聞いたような気がします。
たった70年やそこらなのに、数百年も遠い感じがします。それだけ時代の移り変わりが早くなったからだと思いますが、戦争は今もなぜかなくならないですね。
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瀧本先生から真解(鑑定)を学んでいます。数年後には立派な鑑定士になっていることを目標に免状をいただけるように勉強しています。鑑定士になった時はよろしくお願いします。