瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝7時から再放送されます。(再放送時間は2024年1月から朝7時へ変わりました)

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今年の課題についてからスタートです。

 

 

先生:「今までは矢印を自分に向ける事が大切と言ってきたんだけれど、今年は外に矢印を向ける生き方にしようと思っているの。」

 

 

年美さん:「どんな風になさるんですか?」

 

 

先生:「年末年始に鑑定をしているときに決心が固まっていったの。ご本人が問題点に気づくように話していくんだけれど、やっぱり人生の要ってココにあるって気づきながら話した事があったの。実践をしていただく上で同じ話をしたの。それは珍しいことではなくて、今まで話してきた布施業だったりね。

 

みんな頭では知っているけれど、改めて本当にその項目が大事でそれをすることに情熱が出るくらいにしている?施せるタイミングがきたら”施せるタイミングがあって嬉しい”って、興味を超えた情熱が私らしさになって欲しいと思っているの。

 

やっぱり施すという心から少し離れて生きていると我欲に駆られて、”私をわかって欲しい。もっと与えて欲しい”ってなるのよ。その欲を抑える方法は施しを覚えるということしかないのよ。この一択なの。

 

ご相談で悩まれている皆さんに共通するのは”私を見て!”ということにハマっちゃってるのよね。私を見て!私に施して!なぜ私にしてくれないの!という心の叫びが怒り、嫉妬、孤独、悲しみになる。

 

施しという言葉を知っているか?という話を全員にしていたの。本当に気付けば施すということは自分の何かが減るのではなくて、自分の中から湧き上がる豊かさに変わるということを気づいた時に施したくて仕方がない。

 

仏教の世界では誰かに施したら施した側がお礼を言うの。施された側がお礼を言うのではないの。「布施業が成立しました。あなたが断られたら布施業が成立しなかった。ありがとうございました」ということなの。金にしてもそう。お金を受け取ってくださってありがとうござましたって。」

 

 

年美さん:「納得しました。」

 

 

先生:「布施業というのがどれほど尊いかということ。仏教は布施業はどこにでも出てくるからね。」

 

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

喜びから布施業を行うというのは高度ですね。何かを与えると自分がから何かが減るとは思わないけれど、それよりもめんどくさいなと思ってしまう。ゴミ拾いも、ゴミを拾うのはいいけれど、拾ったゴミを自分の家には持ち込みたくないから、ゴミ箱が近くにないと拾わないし、、、

 

きっとこの合理的というか環境に合わせた行動をしているから、なかなか改善されないんでしょうね。。。

 

特に仕事の時に、仕事を与えてくれてありがとうと思えたら私的には成功ですね!

 

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瀧本先生から真解(鑑定)を学んでいます。数年後には立派な鑑定士になっていることを目標に免状をいただけるように勉強しています。鑑定士になった時はよろしくお願いします。