瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝7時から再放送されます。(再放送時間は2024年1月から朝7時へ変わりました)

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

瀧本先生のHPはこちら

 

逆視道のHPはこちら

 

真解学10期生にご興味のある方はこちら

(お申し込みは2024/1/13まで)

 

------------

 

 

 

愚痴の続きです。

 

 

 

先生:「愚痴を言う目的は勘違いなんだけれど、文句を言った方が自分が幸せになれると思っているからなの。文句を言うのは慢心がでているから。慢心が出るのはどういう時かというと、自分に自信がない時。自信あふれている人は愚痴も文句も出てこない。」

 

 

年美さん:「すごい仕組みですねびっくり

 

 

先生:「愚痴っぽいなと気づいたら自信が下がっているって思う。」

 

 

年美さん:「愚痴を言うのは自我が強いというのはわかりますけど、まさか自信がない事が原因だというのは気づきませんでしたし結びつけれないですね。」

 

 

先生:「ただ、自信がないというのはとても曖昧な表現で、幼少期の傷からきていることもあるから、時間軸がどこにあるかわからないのよね。私は自信がないと思った時は自信がないことを探しに行かないで、『やっぱり私はすごい!』ってモチベーションを上げることをする。」

 

 

年美さん:「なるほど。」

 

 

先生:「大失敗して自信がなくなっている場合は、慢心ではなくて反省すべき課題だから次はどうするかを考えて次の答えを決めておく。だから愚痴っぽくなってきたら自信がなくなってきたから胸を張ろうとか、そういうことで解決ができる。」

 

 

 

年美さん:「自信がないことを深掘りしないで自分でOKを出したらいいんですね。」

 

 

先生:「それでも心が沈んでしまう時は自分の心を観た方がいいかもね。次のご質問です。」

 

 

===ご質問===

 

子供が引きこもりになって4年目になります。非常に困っています。

 

===

 

 

先生:「お母様からのご質問です。母親が困っているということですが、その前に困っているのはご本人なの。そのことをちゃんと知る。

 

ニートというか学業を終えて経済活動に参加していない、またはお小遣いをもらって買い物に行くとか、社会活動に参加していない人のことを東洋的には

 

 

社会的死亡者と呼びます。

 

言葉が厳しいけれど、それで一番自信がなくて焦っていて困っているのはご本人で、のらりくらりしていると思わないで欲しいの。なぜ一度社会に出た事があるのに引きこもりになってしまうのか。

 

自分の人格をすでに持っていて社会に出たときに、自分の自我が通用しないという経験を初めてするのよね。自分が思い描いていたものがシャットアウトされる事がある。その時に脱落を覚えるの。これは誰もが乗り越えるところで、社会に出たら自我を壊さなければいけない時があるの。自分の意見が消される時があるのよね。

 

まず、社会の経験を積んでその中で新たな自我を作るという作業に失敗した場合にニートになるの。私は〇〇だ!と自分をしっかりと持っていることが仇になる。それの柔軟性を養う事が大事と気づけなかったら、私には合わないとなって会社をすぐ辞めてニートになっていく。

 

だから本人はまだ自分が正しいと思っている。ご本人も間違ってないのよ。ただ社会はそういうものであるということにいつ気が付けるか。」

 

 

年美さん:「それは気づくまで待つのでしょうか?」

 

 

先生:「それは大人が教えないとダメ。それは大人の責任で役割。大人の本当の役割は愛することでもなくて、その子が一人で生きていくだけの力を養っていくことだから。

 

だから、ニートで社会から脱落してしまっている人は、能力や勇気がないわけではなく気づいてないだけ。一度自分というものを白紙に戻すということが社会に出たらあるということを気づいてもらうようにお話したらいいと思う。

 

結婚もそうだけれど、新たなコミュニティに入った時は自我は棚の上に置く。まずはそこのコミュニティに自分を整えてから培ってきた自分らしさをアレンジして活躍していったらいいのよ。」

 

 

今週のラジオはこれで終わりですバイバイ

 

的外れな意見だとは思うのですが、ニートや引きこもりの話を聞くたびにお金持ちの家に生まれていいなと思ってしまうし、家が安心安全な場所ってなんてラッキーな子供なんだと羨ましく思ってしまう。

 

家から追い出せばいいだけなんじゃないかと思ってしまうが、ニートの子供を刺し殺した親の裁判記録を読んだときに、外に出したら他人に危害を加えてしまうと思って怖くて外に出せなかったという一文を読んで、確かにそういうこともあるなと。単純なことではないんだなとハッとしましたね。

 

でも、外と家と比べて家の方が居場所があるから家にいると思うんですよね。だから、幼少期の時の記憶の中で安全だと思える何かがあったからだと思うから、真剣に向き合えば話し合いができるんじゃないかなと思います。真剣というのが難しいけれど、やって損はない気がします。

 

------------

 

瀧本先生から真解(鑑定)を学んでいます。数年後には立派な鑑定士になっていることを目標に免状をいただけるように勉強しています。鑑定士になった時はよろしくお願いします。