瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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寄付の続きです。
先生:「私の知り合いで突然ご主人が亡くなったの。お悔やみでお金を包むときに知り合いがビックリする金額を包んだの。そうしたら『ビックリしました!』って連絡があったんだけれど、そのお金で何をしたかというと、新しい勉強を始めたの。」
年美さん:「」
先生:「つまり、ご相談者の方は家族に仕送りをしている。そこでお金が止まるのではなくて、そこからさらに広がっていく。大切な人へ大切な形で届いていく。いつもお金が広がっていくという感覚なの。
なので、いつもお世話になった方へお金を包むときは相手が驚く金額を包むようにしているの。もちろん使わずに貯金する人もいると思う。ご本人の自由だからね。自分一人で世界中の人を施すなんて絶対にできないけれど、その気持ちを持ってお金を施すことができたら、そこからさらに広がっていくのよ。
なので、仕送りしてもらったお金でご家族のかたが美味しいご飯を食べることで笑顔になる。その笑顔で誰かを幸せにする。どんどん広がっていくということを信じないとダメ。
清らかな心で仕送りをしていたら、色んなところで色んな形で届いているから、直接自分が被災地の方に送れていなくてもいいのよ。」
年美さん:「想いが広がっていくんですね。」
先生:「そうなの。話は変わって、つい最近の出来事なんだけれど、師匠のお寺で師匠が御塔婆を書いて読み上げ大法要があったの。信心深い方は御塔婆を年間契約されるから、そのリストを元に書かれるの。
大法要が終わってみんなで裏でお茶を飲んでいた時に、一人のお婆ちゃんがが『どういうことですか読み上げるのを忘れて』ってすごい剣幕で入ってきたの。
それまでは、奥座敷でみんなで微笑ましくしていたのよ。師匠が『どうした?』、そのお婆ちゃんが『うちの御塔婆がなかった名前が読まれなかった忘れていたでしょう』って怒鳴ってきたの。
師匠が『それはすまなかった。今から書くから。』って言ったんだけれど、『大法要で読まれないなんてどういうことですか・・・。』って、もう怒りが収まらないの。だから、別の弟子が他の場所に誘導しようとしたら『向こうに行きましょうってどういうことよ』ってまた怒りだすの。
年美さん:「もう何を言ってもダメなんですね。。。」
先生:「御塔婆をあげてもらいたいと思ったけれど御塔婆がなかった。そして師匠に文句を言った。その方の行為によって瞬間に供養が終わっている。師匠が御塔婆を書いたら供養が終わるということではなくてね。最高なる供養よね。」
年美さん:「それだけ熱い想いがあるんですものね。」
区切りがいいのでこの辺で
先生がお師匠さんに文句を言った時点で供養が終わってるとおっしゃった意味がよくわからなかったです。熱い想いがあるのはわかるけれど、お寺や神社では怒ったらいけないと思っていたので驚きました。
私の両親は神社のお参りの時に夫婦喧嘩して両親とも体調崩したり怪我したりしていたので、本当に怒ったらダメなんだなって幼心に思ったものです。
でも、故人の供養を思うってすごいですね。私考えたことがない。個人は勝手に供養されるだろうって思っているというのもありますが、祖父母の人柄を知らないこともあって想い出すこともまぁない。そこまで自分の中で故人を大切に想える人生を経験されているというのは豊かだなって思います。
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瀧本先生から真解(鑑定)を学んでいます。数年後には立派な鑑定士になっていることを目標に免状をいただけるように勉強しています。鑑定士になった時はよろしくお願いします。