瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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影響の領域と関心の領域の続きです。

 

 

 

年美さん:「例えば書道が好きだから習いに行くというのはどっちでしょうか?」

 

 

 

先生:「影響の方ね。」

 

 

年美さん:「書道のことを極めていけるからでしょうか?」

 

 

先生:「書道を書道として年美ちゃんはやっているはず。仏教の勉強は仏教の勉強としてしているはず。違うカテゴリーに見えるけれど同じ方向性のものなの。違うものをやっているつもりでも、それは違うものになっていないの影響の領域というものはいづれ巨大な大河となる。けれど関心の領域は瞬間瞬間に消え去っていく。」

 

 

年美さん:「全然違いますね」

 

 

先生:「その通りなの。SNSが関心の領域で生きている代表ね。流行り廃りがある。」

 

 

年美さん:「確かに深めることができないですものね。」

 

 

先生:「影響の領域だけでいていいと気づかないといけない。そっちが幸せなんだと気づかないといけない。認知度を上げることが幸せじゃないのよ。操られているのよ。

 

スポーツ選手を観て感動するのは、食事をするのも寝る質も勝つため。全部そこに向いている生き方。それがやっぱり影響の領域の広さで全てのことが影響の領域の中にある。それがその人の生き方になる。ほとんどの人は、食事も寝ることも関心の領域で生きている。そういう人はつまらない人生になる。

 

自分の影響の領域を広げていくと本来の自分の役割がある。影響の領域の中に、その人が生まれた意味がある。生きる意味はないの。我々は役割があったから生まれて役割を果たすだけなの。

 

みんな役割が見つからないから、関心の領域を広げてみんなと同じことをしていたらいいのかな?そうすれば許される気がするからしてしまう。それをすることで余計にわからなくなってしまうのに、多数決に流されてしまう。

 

そうではなくて、自分は所詮一人なんだから影響の領域を広げる。食べるのも〇〇のために食べる。寝るのも〇〇のために寝る。勉強するのも〇〇のため。そうすると全部影響の領域に収まりだすのよ。」

 

 

年美さん:「〇〇のためというのは自分で決めるんですか?」

 

 

先生:「だんだん〇〇のためというようになってくる。真剣に自分のことを考えてみると”あれ?もうちょっと集中力が高まる食事にしようかな?”って、グルメから自分の生活にあった食事に切り替わってくる。これが自分のものになっていくの。

 

そうすると、全ての日常の行いが自分の命になってくる。みんな関心の領域に盗まれていて自分がないのよ。」

 

 

年美さん:「すごくよくわかりました!関心の領域で生きています。誰かの興味とか自分がではないですね。影響の領域って身近なんですね。目の前のことを丁寧にやっていくことなんですね。」

 

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

やっぱり答えは一緒ですね。目の前のことを丁寧に。何度聞いたことでしょうこの言葉。丁寧に生きる=丁寧に掃除する→掃除がめんどうだ→気が向いたらやろう→気が無事などないのでこのまま年取るだけを繰り返しています。

 

確かに丁寧に生きていたら、寝る前にあんぱん食べたりしないでしょうなと思います。体に悪いことだとわかっていて食べるのがなぜ美味しさが増すのか。

 

 

話は変わって、ラジオの冒頭で先生が相田みつを美術館にいかれたお話をされていました。「人間だもの」の作品ひとつでも、書かれた年齢によって書体や改行の位置が違うそうで、細やかにご覧になっているお話をされていました。

 

私は美術館に行っても作者の意図が何も感じられないので、すごさとかもよくわからないのですが、深くものが見れるような方だと美術館きっとも楽しんだろうな、羨ましいなと思いながら聞いていました。

 

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瀧本先生から真解(鑑定)を学んでいます。数年後には立派な鑑定士になっていることを目標に免状をいただけるように勉強しています。鑑定士になった時はよろしくお願いします。