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機嫌よく相手に伝えるお話の続きです。

 

 

先生:「自分のために機嫌を損なわないような言い方を選んだらいい。相手を変えてやろうとか、相手を変えてやろうとかではなくてね。相手にどんだけ怒鳴ったって相手の中に入らない。可愛く言っても入らないんだけれどね。本人が気づかない限りは何を言っても無理なの。」

 

 

年美さん:「そうですね。」

 

 

先生:「機嫌よくなる自分の言葉遣いにしたらいい。言葉ってすごく不思議で発し方なの。言っている内容よりも発し方なのよね。

 

忍耐という言葉が仏教にはあるでしょう?六度万行の中では忍辱(にんにく)と呼ぶけれど、忍耐を楽しむの。忍耐と辛抱は違うからね。私がいつも思っているのは忍耐なの。辛抱は辛さを抱えているからね。辛いという前提がある。忍耐というのは目的のために耐え忍ぶ。辛抱は目的がないの。辛抱はそれが過ぎるのをただじっと待つ。

 

だから臨終を習うて他事を習べです。我々が肉体を持っている時の一番遠くにおける目的は臨終なの。その臨終を誰からも愛されてサッと逝くというのが自分の理想。今の決断はそれに対しての逆算なのよ。だから理想を見失わない。」

 

 

年美さん:「見失っていました。感情に任せてましたショボーン

 

 

先生:「人はいつ死ぬかわからない。今死んで困ることは言わないしやらない。常に理想を見失わないことだね。」

 

 

年美さん:「理想を見失わないようにします!」

 

 

先生:「さて、次のご質問です。自分を裏切った人の憎しみやイラつきが定期的に心を襲う時どうしたらいいでしょうか?ということでした。

 

自分を裏切ったというのがどの程度のことかわからないんだけれど、これはどんな裏切りを受けても相手を憎むな。とお釈迦様は言われています。」

 

 

年美さん:「どんな裏切りでもですかびっくり

 

 

先生:「なぜなら、あなたは相手がどんな誘惑に出会っているのか、または相手の裏切った行為の理解力を知らない。どういうことかというと、相手が故意に裏切ったのか偶然なのかわからないけれど、ただ、相手がそういう事をしたくなる誘惑がその人の人生にあった。その誘惑が本当に魅力的だったら裏切ると思うの。

 

だから、裏切られたということにフォーカスするのではなく、そうせざるおえなかったほどの誘惑があった。それをこちらは知らない。だから、相手を憎む必要はない。裏切るという行為をやってしまう人たちは、自分が何をしているかという理解力がない。

 

相手に対して裏切り行為を止めるというのは、相手の人生を侵略しているのと同じこと。相手が決めてやったこと。相手にとってはハチミツのように甘い誘惑があった。だから、相手を恨んでも仕方がない。

 

仏教というのは裏切ってくる相手に対して裏切り行為をやめさせる教えはない。そうではなくて、裏切り行為を受けた自分がそれを乗り越える教えはある。

 

やっぱり裏切った人というのは何かよくないとわかりつつやっているとは思うけれど、よほどの何かがあったのよ。その人と同じ立場になったら自分もやっているかもしれない。」

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

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瀧本先生から真解(鑑定)を学んでいます。数年後には立派な鑑定士になっていることを目標に免状をいただけるように勉強しています。鑑定士になった時はよろしくお願いします。