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次のご質問です。

 

 

先生:「仏教の修行をやっているお坊さんたちが性欲を抑えるためにどのようなことをされていたんですか?というご質問をいただきました。

 

昔あるピンドーラという修行僧がいて、めちゃくちゃイケメンだったみたいなの。妃や貴婦人たちは、そのピンドーラに神秘性を感じたの。なんて美しい男性なんだろうと見惚れたの。

 

ある時、王たちが貴婦人たちを連れて森に狩に出かけたの。ピンドーラはその森で瞑想をしていたの。その様子を見た貴婦人たちは妖精なのか神なのかと騒めき立ったの。王が狩りをしている間、貴婦人たちはピンドーラに説法を聞きに行ったの。ピンドーラの周りを囲むように貴婦人たちが周りに座ったの。

 

ピンドーラが貴婦人に説法を説いている姿を見た王は、坊主が貴婦人をはべらかしているように思ったの。」

 

 

年美さん:「そう見えますよね。」

 

 

先生:「王はピンドーラに罵声を浴びせて激怒したの。ピンドーラは弁解することもなくジッと王の目を見つめたの。ピンドーラが黙っているものだから、より激怒して、近くにあった自分の身長くらいある蟻塚をぶち壊して、ピンドーラの体に無数の蟻がまとわりついたの。

 

けれど、ピンドーラは蟻を払うことなく、ずっと何もせず王をジッと見つめていたの。すると王がハッとして周りを見渡すと、貴婦人たちが王に対して冷たい目をしているということに気がついたの。

 

王がピンドーラに群がる蟻を払って『お前は何故そのようにビクとも動かないのか?』『心が動かないからです』『修行して心が動かないとはどういうことなのか?若い女体を見れば心が動くだろう?』『いえ、動きません。』『そんなはずはない。お前の師匠はどのように説いているのか?』『自分よりも目上の女性を見たら母だと思え。中くらいの婦人を見たら妹だと思え。幼き娘を見たら我が娘だと思えというように教えられました。だからいかなる人を見ても心が動きません。母に、妹に、娘に対してそのような想いは抱かない。』」

 

 

 

年美さん:「確かにそうですよね。」

 

 

先生:「それでもその王はピンドーラに対して、『そうは言っても出来の悪い弟子はできないだろう?』『確かにいないとは限らない。だからこそ、そのような者に対して師匠は、綺麗だと思う女体を眼の前にしたらただ単に形を見るのではなくて、もっとちゃんと見よ。毛穴の中には油があって食べたものを消化する内臓がある。排便もする。本当に美しいだろうか?よく見よ。自分と全く同じ体なのだ。お前は自分の体が美しいか?だから、相手の形を見るのではなくよく見よ』と言われた。

 

ただ単に、仏教は人間の体は汚いんだということを前提にしているの。自分と同じ機能を持っている女体に対してお前は美しさを見失うだろうと、よくお釈迦様が仰っていたの。」

 

 

年美さん:「面白いお話ですね。」

 

 

先生:「今の話も人の欲だけの話でなく、人を本当に納得させるのはどういうことなのかとか、人間関係とかも勉強できるのよね。納得させられちゃうのよね。自分で答えを言うから。これを気づきと言うのよね。

 

言われてそうか!と気づくことじゃないのよね。自分からでてきてそれが完了していく有様が気づきなのよね。」

 

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

ニュースの見過ぎなのか性欲がない人が増えているとよく聞くので、現代人は抑えなくていいんじゃないかな?と思っていました。それにしても、この王様なんども質問して面白いですね。よっぽど性欲があったんでしょうね。王様は子孫を残すのも仕事の1つだから性欲がないよりあったほうがいいですけどね。

 

 

何かの本で、多くの弟子が一人の美女に心を奪われて、その女性が死んだとき弟子たちがあまりに悲しんだので、お釈迦様がその美女の死体が腐敗していく姿を観察させたという話を読んだことがあります。綺麗な美女が腐敗していく姿を見て弟子たちは正気に戻っていくのですが、形に惑わされるなとおしゃっていましたが、惑わされちゃいますよね。

 

テレビを見ていて思うのは、よく毎年毎年美男美女が登場するなぁということ。美男美女は減らないんだなと思います。