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お医者様からのご質問です。

 

 

先生:「先日お医者様からご質問をいただいたの。そのお医者様はすごく大きな大学病院の先生なの。ご相談内容をまとめると、『病になった人をなんとかしようとして治すけれど必ず人は死ぬ。助けるというのは何でしょう?高額治療をすれば一時的に治るかもしれないけれど、それだけのお金を使って治療をしてもいずれ死ぬ。そのお金を治療ではなく旅行をしたり好きなことにお金を使った方がいいと感じる。僕は高額な治療費を出させて治してはいるけれど助けていないんです。』」

 

 

年美さん:「なるほど!」

 

 

先生:「ものすごく矛盾が生まれているんですと言うわけ。私は何をしているのか。医者とは何なのかと。」

 

 

年美さん:「深いお話ですね。」

 

 

先生:「生きるというテーマに関してどう生きていくか。一人で生きている人は特に老後のことを考えると思うの。これがいわゆる娑婆の一般的な問いなのよ。

 

 

どう生きるか。どうやって生きていくか。

 

 

病気をして働けなくなったらどうしよう。年金もないし貯金もない。。。となってみんな不安になる。

ところが、その問いを仏教は持ってないの。問いを変えろとお釈迦様は仰っているの。そのお医者さんにも同じことを言ったの。どう生きるかという問いに対して答えはない。

 

 

なぜ生きるのか。

 

 

HowからWhyの問いに切り替えた時に答えは見つかるの。『先生はなぜ生きているんですか?』となると私がやりたい事が見えてくる。自分が生きていることに対する問いの入れ方がみんな結構ミスしてる。

 

人はなぜ生きるのかというと幸せに気づくためとか感謝を実践するために生きている。どう生きるかとなるとそこに幸せは入らないで不安が入ってくる。これが全てを網羅する。どう生きるかではなくてなぜ生きるか。この答えを明確に持っていると色んなことの質問というか自分の中の愚問に対しての答えが出てくるとお伝えしたの。

 

先生はこれだけで『全部わかりました』って仰ったの。やっぱり流石よね。どうやって助けるかではなくてなぜこの人の命を延ばすのか。つまり、私は〇〇をするために生きたいとか、〇〇だけは成し得たいとなったらそのお手伝いをすると考えてください。病を治すということではなくて、病を治して何をしたいのかというヒヤリングをやってください。どちらにせよ人は死ぬけれど、それが1日でも多くその人がやりたい事ができたのであれば先生の仕事素晴らしいですよね?って言ったの。」

 

 

年美さん:「やりがいになりますねグッ

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

何度もこのお話を聞いていますが、なぜという問いではなくどうやってという問いに変わっていますね。

私はきっと自死をするんだろうと子供の頃から思っていました。今は働けるから生きているけれど働けなくなったりお金がなくてミジメな思いをするのであれば、その時に命が終わってもいいのではないかとずっと考えていました。

 

先生のように使命があるのであれば別なのでしょうが、私のように微力の人間が一人いなくなったところで困ることはないと思うんですよね。私のこの文章に共感してくれる人は少なからずいると思います。

 

 

なぜ生きるのか。

 

 

今はまだ生きているからとしか答えがないですね。。。