瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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今週のラジオは多くの日本人が無意識にやっていることのお話です。

 

 

 

年美さん:「この間、久しぶりに友達と会ったんです。その時に私が『かわいい服ね』って何気に言ったんです。そうしたら友人が『うん。でも安物なの。』とか、褒め言葉を受け取ってくれるんですけど、必ずその後に自分を落とす言い方をするんです。それってなんなんだろうって思うんです。なぜわざわざ自分を落とす言い方をするのか疑問なんです。」

 

 

先生:「そういう人多いよね。年美ちゃんも出会った時はそうだったと思う。」

 

 

年美さん:「この心理はなんなんでしょうか?」

 

 

先生:「謙虚で美徳だと思って遠慮して言っている人と意図的に自分を下げていると思っている人と分かれるの。謙虚さは教育の部分で別れてくると思うけれど、謙虚さでやっている人は美しいと思う。

 

ただ、そうではなく人から認められたときに自分を下げてしまうというのは謙虚ではないところでやってしまう人が問題なの。」

 

 

年美さん:「それは根強いということですか?」

 

 

先生:「何がそうさせているのか。私はここにいてもいいと許可が出ていないからやってしまう。自分に対する、自分はここにいてもいい、ここに存在してもいい、適している人間なんだ、私は愛される価値があるということを自分に許可を出せていない人がそれをやってしまう。

 

これが生きにくくて生きにくくて辛いのよね。相手から与えられた愛ある言葉を蹴っているから苦しいということに気づいていない人が多い。違う要因で苦しんでいると思っている。

 

けれど、人から『綺麗ね』と言われた時に『そんな事ない』と愛情を蹴っている状況が苦しみを生んでいるということに気づけていない。たくさんいらっしゃる。面談している方の半分以上がそういう方ね。」

 

 

年美さん:「自分が蹴っていることに気づかないですものね。その奥に愛されたいと思っているということも辿りつかないですよね。」

 

 

先生:「相手から褒められたり、認められた時は感情は素直に嬉しがっているのよ。ただ嬉しいと心地がいいは別。嬉しいんだけど心地よくないの。だから、嬉しんだけれど自分の心地がいい領域に持って行こうと思って『そんなことない』って否定して言ってしまうの。だから喜んだ後に落とすの。」

 

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

私も褒められると居心地が悪くて否定するというか、その相手を遠ざけることをしていたので、そうしてしまう人の気持ちはよくわかります。私の場合は自分で蹴っていることがわかるけれども、蹴らずにはいられないことに悩んでいました。

 

私を褒める人=嘘つきな人という思いが昔あったのですが、今はそうは思わなくなったので今は受け取れるようになりました。

 

嬉しいと居心地がいいが別ということを言葉にされると妙に納得しました。確かにそうですね。嬉しい=居心地がいいが普通なのにそうじゃないという時点で生きづらいですよね。人生素直に生きるだけなのにどうしてややこしくしちゃうんでしょうか。人間って変な生き物ですね。