瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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幸せについてです。

 

 

 

先生:「そうなの。幸せってそういう事でいいんじゃないかな?って思うの。みんな大きな幸せを探すのよね。

 

仏教をずっと実践して気づいた事があって、『なんか面白い事がないかなぁ』という会話を長年言ってない。昔はよく言っていたの。これってどれだけ贅沢な会話なのかって事なのよね。」

 

 

年美さん:「そうですね。」

 

 

先生:「そう言っている人って絶対に苦しみがない状態だかね。どこも痛くないしね。そう言っている人は、今メチャクチャ幸せなところにいるんだよって思うの。昔はよく言っていたのよ。

 

もし、責任問題がある事や人間関係でトラブったり病気をしていたりしたら、そんな事言えないからね。そんな何もない状態で『何かないかなぁ』って言っている。

 

何も起きていない状況を仏教では楽という。楽=幸せ。幸せというのはそういう状況であって何かが起きている事ではなくて、苦しみという状態から離れる事という、この概念がメチャクチャ採用できたの。

 

その概念を採用してから、何もない時に”幸せだなぁ”ってコーヒーを飲みながらずっとボーッとしているの。これが昔だったら、何もないから買い物行こうとか思っていたのよ。何にも追われてなくて我慢しなければいけない痛みもない。ずっとボーッとしていらることの幸せ。」

 

 

年美さん:「これは大きな気づきですよね。」

 

 

先生:「どこかに行かないと幸せじゃないとか、何かをしないと幸せじゃないとかではなくて、苦しみがないという状況に自分がいるということに気づくのよ。暇なんじゃくて幸せなの。」

 

 

美千子さん:「そう思うだけで毎日すごく幸せですよね。」

 

 

年美さん:「苦しみがないのが幸せだと学んでいたのに、どこかで刺激を求めていましたね。確かにそうですね。原点に戻った気がします。」

 

 

先生:「みんなに気づいて欲しい。何もする事がないんじゃなくて、何かしなければいけないというものに追われていないの。それで生きているなんてどれだけ幸せなのか。

 

何もしてなくていいんだろうか?ではなくて、なんて今幸せなんだろうって感じる。この私が幸せを感じれているということは、その人間関係をみんなが作ってくれているということなのよ。もし、年美ちゃんが悲しんでいたらボーッとしてられない。

 

私が一人でのほほんと出来るということは、みんなが私に幸せを与えてくれているわけなのよ。自分から放射線状に広がっているご縁の方がきちんと収まった形で生活をしている時でないと幸せを感じれない。」

 

 

年美さん:「壮大な幸せですね!」

 

 

先生:「そうなの。ボーッとするって、なんとなく自己否定が付随して出てきてしまいようだけどそうではないの。共存できているということなのよ。」

 

 

 

今週のラジオはこれで終わりですバイバイ

 

 

確かに先生の放射線はかなりたくさんの人がいらっしゃるので、先生がボーッと出来るのはかなりの幸せだなと思いました。私は人付き合いないですし、そもそも何かあったら私に相談してくる人もいないので平和ですし、家族ともほぼ絶縁なので、自分が病気にならない限りは幸せだなと思います。

 

確かに何もしない日は罪悪感がありましたが、改めて幸せを噛み締めて週末過ごしたいと思いますチョキ