瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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2021年の振り返りからスタートです。

 

 

 

先生:「今年1年振り返った?」

 

 

年美さん:「まだです。31日ですかね。家のことが全部終わって落ち着いたら振り返ります。」

 

 

先生:「今年は激動だったなぁ。激動だった割には心は疲れてないのよね。心をよく読みにいった。私はどう考え次にどう思っているかって。

 

事あるごとに、さぁ私は何ができるか。できることを探すために心をよく観にいきましたよ。自分で1つ褒めてあげたいことがあるの。ちょっと利口になったなって思ったの。仏教でいう利口になるってどうなることだと思う?」

 

 

年美さん:「一般的には賢くなるということなので、実践をして1つでも自分の中に智慧を入れることなのかと思います。」

 

 

先生:「仏教でいう利口な人とそうでない人との違いは〇〇だと明確に言っているものがあるの。

 

例えば、娑婆でいう利口というのは、色んなことが解けたり出来たりする人のことでしょう?仏教は別に勉強ができるできないとかではないの。そこで人を判断したりはしないの。学校での合否を問うようなものを定義としてないの」

 

 

れい子さん:「言葉は関係あるんですか?」

 

 

先生:「言葉も関係あるけれど、お釈迦様が利口な人とそうじゃない人と明確に分けているのは、

 

 

何か出来事があった時に結果を見るか原因を見るか

 

 

なの。」

 

 

年美さん:「なるほど!

 

 

先生:「仏教に出会ってなかった自分を思い出して欲しいんだけど、何かが起きたら結果に対して嘆いたり、腹が立ったり恨んだり暴れたりしたでしょう。本当に結果に心を振り回されていたでしょう?

 

望ましくないことが起きた時、結果に対する執着って半端なかった。逆もあって、ものすごく幸せなことが起きても、そのことに溺れて没頭して喜んでいるだけ。これが仏教的にいう愚か者なの。

 

ところ、利口になるというのはどういう事かというと、何か望ましくないことが起きたら、こういうことが起きるということは、これが自分の人生で起きる原因はどこにあったのだろうかと、まず自分の歩んできた人生の延長上の中で自分が経験するにふさわしい原因があったかどうかを探す。あったなら訂正する。ところが、ほとんどの場合はそれにふさわしい原因というのがないのよ。どういう意味か。それは忘れているということなの。」

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

確かに良くないことが起きると、その原因を覚えていないし、〇〇さんからこんなことを言われる筋合いないと仏教を学ぶ前は思っていました。が、学んでからは、人との待ち合わせに遅れたことも、ドタキャンしたことや、嘘をついたこと、悪口を言ったことなど、まぁ、色んな悪因があるので、〇〇さんにはしてなくても、違う人にしていたし、私がやってきたことや思ってきたことの方がひどいので、この程度で済んで良かったと思えるようになりました。

 

本当に心の中で何人も刺してきましたからね。命があるだけマシですよ。何かあった時に、私がやってきたことよりマシだと思うと全く怒りもないですね。

 

なので、昔良い子にしてこなかった分、過去の自分と比較して自分よりもめんどくさい人と出会わないので良かったですチョキ