瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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仏教が目指す境地についての続きです。

 

 

先生:「仏教は人から誹られても傷つかない。人から褒められても喜ばない。そのままの平穏な心が一定のまま保たれるということを仏教は目指しているので、もともとその要素があったら素晴らしいと思うの。」

 

 

年美さん:「そう思います。」

 

 

先生:「以前、名古屋の講演会でずっと講演会にいらした方で、一生懸命実践して喜ばしいことがあっても有頂天になるのではなくて、ありがたい。こういう経験をさせてもらっていると心鎮めるようにしていくと、どんなことがあっても喜ばなくなってしまったって仰っていたの。

 

仏教を勉強すると感情の表現が下手になるというか、無表情になっていくような気がしましたって。

 

本当に無表情というよりも一喜一憂することがなくなったのなら、それはそれで本当に素晴らしいと私は思うの。けれど、本当にそれできてますか?瀧本自身も何かがあったらガンと落ち込むことや引っ張る事がなくなったけれど、嬉しいことはメチャクチャ喜ぶからね爆  笑

 

 

れい子さん:「爆  笑

 

 

先生:「嬉しいことがあったらガンガン喜んじゃってうるさくなるんだけど、ただ、その喜びを感じていることが終了しても悲しくない。それがあるから喜んで、それがなくなったら沈むということがない。ベースはプラマイゼロのところで喜びはガンガン喜ぶという仏教の収め方になってしまっているの爆  笑

 

 

年美さん:「そうですね。」

 

 

先生:「お釈迦様の教えに反しているのよね。お釈迦様が恐れていたのは、喜ぶという心があるということは必ず同じ振り幅の苦しみを受けてしまうという要素を持つということだからなのよね。

 

だから、喜びがあってもガンガン喜ばない。苦しみというものを人生から本当に排除するということは喜びさえも感じない。喜ばしいことがあったらありがたいと静かに受け取る。

 

本来なら辛いと思うことがあったら仏教のどれかの言葉で収める。諸行無常、諸法無我などどれかで心を収める。常に一定の心で我が道を行くことを目指す。」

 

 

年美さん:「とても楽しいそうですよね。いい事は喜ばれた方が幸せ感を感じます。」

 

先生:「ご相談くださった方は感情の起伏が少ないと仰っているけれど、それでいいんです。それが本当は素晴らしい。そういうあり方自体がオンリーワンということでいいのではないでしょうか。

 

どうか、そのご自身の魅力をそのまま受け止められたらいいと思います。何も低温やけどとか、そういうことではないと思います。」

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

先生のように喜びを表現することが少ないので、私も見習わないとと思いながらいつも眉間にしわを寄せながら人の話を聞いてしまう、、、

 

私は相手の話を理解したいと思うからそうなってしまうのですが、相手からすると詰問されているように感じるようです。まぁ、口調もあるんでしょうけどね。

 

話は変わって、この頃肩こりがひどいので先生からご紹介いただいた東城百合子先生の自然療法という本に書かれている小豆の煮汁を飲むことを始めました。今まで気づかなかったのですが、どうやら私は胃腸が弱いそうです。

 

甘いものを控えないといけないのですが、なかなか悪因をたつのは難しい。甘いものを買わなきゃいいだけなんですけどね。うーん、困ったあせる