瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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仏教の死の概念はどうなんでしょうか。
先生:「仏教の死の概念は肉体は手放すけれど元いた状態に戻る。『先に戻るね。みんなも戻ってくる。そして1つのアメーバみたいに大宇宙に戻る。じゃぁ、先に行くね
』という感覚。
どちらが正しいかは知らない。私はたまたま仏教だから釈迦の教えを信じている。継続的に自分という思考が存在していくという概念を今回の人生では取り入れた。もしかしたら違うかもしれない。これは死んでみないとわからない。」
年美さん:「そうですね。」
先生:「どれが正しいか間違っているかというのを論ずる必要がなくて、ただ生きている時にそういう命の使い方、肉体が終了した時の大筋のシナリオを持っている人、それを宗教を持っている人という事なんだけど、死が怖くないのよね。なんとなく筋道が立っているからね。」
美絵さん:「見ていて思うのは、宗教を持っている人は死というものに対して想いを馳せるタイミングがあると思うんですね。となると、宗教を持っていない人に比べたら、死に向かうまでの自分の気持ちの折り合いのつけ方があるんだと思うんです。じゃないと、世間では先生が仰ったみたいに死というものは酷い事とか悪い事というイメージだと思うので、普段の生活で死を考えないと思うんです。
けれど、仏教やキリスト教とか自分が信じるものを学ぶ中で死というものを考えるチャンスがあるからこそ、そこに行くまで準備をしているのかなと思います。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
美絵さんが仰るように、確かに宗教を学んでいる人は死を考えることがあるので、学んでいない人よりは踏ん切りがつくというか心の整理ができやすい気がします。あとは宗教を学んでいなかったとしても、大家族であれば祖父、祖母の死を身近で体験しているから考える時間があるような気がします。
私は死は酷いというより不吉というイメージがありますね。きっと心霊番組の見過ぎだと思いますが。子供の頃あなたの知らない世界という心霊番組が夏休みの時やっていて、その時に死=怖い、不吉というイメージができたような気がします。
日本では死が不吉なことなので事故物件とかが話題になりますが、ヨーロッパでは築300年とかの家が多いので全部が事故物件だから日本人がなんでこだわるのかわからないと言っていた記憶があります。その話を聞いた時に死に対しての考え方が違うんだなぁと感じましたね。