瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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死は酷いことなんでしょうか?

 

 

 

先生:「死が酷いことなら、最後全員酷い目にあうのよ。そこに、宗教の大宇宙の概念を取り入れていると死ぬという言葉すらも不適切なような気がしてきて、元に戻るとか来たところにもう一度収まりにいくとかになる。死ぬと言ったら終わりを連想するから、確かに酷いことや悲しいことになる。

 

仏教という概念は死という言葉がなかったりする。もちろん生老病死といってあるけれど、肉体がなくなってしまったら終わりという概念はない。元いた場所に戻るということ。

 

キリスト教は死というものが明確にあって死ぬことがよくない事という概念を持っている。だから復活祭というものがある。それは古代ギリシャの方からずっとある文明なの。

 

例えば遺体をミイラにしてしまうのかというと復活した時に肉体がないとダメだからなの。魂が戻ってくるからミイラにしているの。けれど、内臓が腐ってはダメだから解剖して内臓を全部取り出して、心臓の壺、肝臓の壺というように、別々の壺に安置しているの。

 

それほど、古代のヨーロッパの死生観は死ぬことが非常に恐ろしい事であって、復活して肉体に戻ってくるのが正しいとされている。ただ、復活せず死ぬこともあるけれど、その時の魂は神の元へ行くという信仰があるがゆえ、死ぬことに挑む方がいる。」

 

 

 

区切り位がいいのでこの辺でバイバイ

 

 

死の概念は宗教によって大きく違うイメージがあります。10代か20代の頃無料で英会話を教えてくれるというので、無料ということもあり教会に行ってみると、アメリカから大学生の宣教師の方がいらして、キリスト教の死生観について話をしてくれた事を思い出しました。

 

確かその時は、死んだ時にキリスト教を信仰している人は神様のところに行けて、信仰していない人はいけないという話を聞きたような気がします。悪い事をしている人も信仰していたら神様のところに行けるのか聞いたら、確か何かをすると行けるような事を仰っていたような気がします。

 

そうそう、その時にキリストは神様だと思っていたのですが、キリスト=神様ではないと聞いてビックリした記憶があります。もしかしたら私の聞き間違えかもしれませんけど。

 

宣教師の方の話は、いろいろ考え方が違かったのですごく楽しかった記憶があります。