瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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質問への回答の続きです。
先生:「私たちは肉体がある以上はやっぱり幸せになりたいと思う。宇宙に還ったらという理屈は横に置いておいて、今肉体がある以上は幸せでいたいと思う。そうすると良い行いをするとそれが必ず返る。この法則を潮の流れに例えて言っているの。それに乗っかる。そうするとどれだけ楽しい人生になるのかしら。
そのベースを私は宇宙の一部だったというのが入り混じってくると、今を生きることにちょっとサボりがちになってしまうような気がするの。今は期間限定で瀧本としているので、今はその瀧本さんを思いっきり楽しんでおこうと思うの。その代わり因果の法則をフル活用する。
その流れに乗っていく中で、因果の法則を正しく使うためにどうやったらいいのか。善因善果というけれど善という原因を行うことで善という結果が得られる。それが宇宙がもっとも求めていること。この善というのはいっぱいある。お金をあげること、厳しく叱る事だったりね。この善因善果も自分の心が定義を変えてしまう。年美ちゃんの善はなに?」
年美さん:「私の善は困った人を助ける事です。」
先生:「素晴らしい!それを100点満点にしようとするとどうなるか。優しいという漢字は優秀以外でどんな時に使う?」
年美さん:「優勝、優雅ですかね。」
先生:「この言葉は全部優れているっていう事でしょう?何に優れているという意味なんだと思う?優を分解してみると、人を憂えるになるでしょう?つまり、優しさって嘆き悲しんでいる人に横にピタッと寄り添うという字なのよ。
だから、悪い行いをしたらその人はこの世でもあの世でも憂えるとお釈迦様は仰ったの。その人に寄り添う事が優しさなの。苦しんでいる人の苦しみを脱ぎ去ってあげる事が優しさであって、仏教の抜苦与楽なの。苦しみを抜き取り豊かさを与える。これが優しさという字。それが善なの。
苦しみを抜き去り安らぎを与えるというのは順番が決まっていて抜苦与楽の抜苦が先なのよ。慈悲もそう。慈=苦しみを抜き去る。悲=喜びを与える。これは全て順番が決まっているの。」
区切りがいいのでこの辺で
抜苦与楽や慈悲のお話は何度も聞いていますが、知っているだけで覚えていないですね。優しいという意味も苦しみを抜き去る事なんですね。私にできるのだろうか?人のことより先ずは自分が苦しみから抜けないとダメですね。
優しいって朗らかな雰囲気の人のことをいうのかと思っていたのですが、このように具体的に言われるとイメージができるのでいいですね。苦しんでいる人というけれど、社会人になると苦しみながら歩いている人ってそうそういないので、苦しんでいる人に出会わないんですよね。
たまにお会いすることもありますが、苦しんでいるその現象を優雅に味わっているような気がするので、決して苦しんでいる人のようには見えないんですよね。
苦しんでいる人から『苦しい』と言ってもらえるような人間に先ずはならないとダメですね。