瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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師匠とお弟子さんのお話の続きです。

 

 

先生:「そのくらいの覚悟じゃないと悟っても転がり落ちるの。」

 

 

年美さん:「仏の40位やお釈迦様のランクまで行くと逆にしんどくならないのかな?と思うんです。全てが見えれば見えるほどこの世界にいることが苦しくならないんですかね?」

 

 

先生:「私達からすると想像もつかない境地だからね。けれどこの世にいることの執着が全くない状態で生きるとということだろうね。全ての境界線がないんだろうね。少しづつ少しづつ境界線が外れて共存と調和が始まっていくんじゃないのかな?」

 

 

年美さん:「ならまだまだですねあせる

 

 

先生:「心の境界線を外すというか、あなたと私という中で大概人は私リードでしょう?恋愛していていて目がラブラブになっている時以外は、私がこうして欲しいのにムキーってなるでしょう?

 

私リードで相手が後になるのはどうしてかというと、それを外す1つの修行で無言の行というのがあるの。私は無言でいることが平気なの。無言といっても本当に限度があるくらいの無言よ。」

 

 

年美さん:「返事もしないんですか?」

 

 

先生:「もちろん。相手も話さないからね。私がなぜ平気だったかというと、自分と会話をすることを知っていたから。みんなは、自分で自分の心と話をしたら”なんでこんな独り言ばっかり話すんだろう?”って思うでしょう?私はそれがすごい会話だということを知っていたから、全然修行にならなかったの。」

 

 

年美さん:「他の方はそういうことをしなかったんですね。」

 

 

先生:「そうね。他の人は瞑想はしないかな。ただ無言の行は厳しい修行といわれているの。なぜかというと人は喋りたい。無言の行で何を気づくべきなのかというと、人は喋りたい生き物だということに気づくことなの。

 

ここを間違えるとダメなの。人は聞きたい人間じゃないの。話したい生き物なの。だから無言の行というのはどれだけ難しいか。と、いうことは話したいと思っている人がこれだけ多くいるということは誰かが聞かないとダメなの。話したいという欲求が解消できない。聞いてくれる人がいて初めて達成できる。ここで聴聞修行というのがある。ただただ聞く修行。聞くにも人は自分が聞きたいことを聞くの。」

 

 

時間がないのでこの辺でびっくり