瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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大乗仏教と小乗仏教の違いの続きです。

 

 

 

年美さん:「では、大乗仏教と小乗仏教の違いは壮大さが違うということでしょうか?」

 

 

先生:「信仰するものではなくなるの。人を信じていたのが人ではなかったといことで動揺される方が多くいる。」

 

 

年美さん:「大宇宙の法則が大乗仏教ということでしょうか?」

 

 

先生:「そう。本当の大乗仏教は差別がない。生きると死ぬの違いはないし、あの人とこの人の違いはない。雑草と自分の違いはない。何もかも平等。宇宙の真理は寸分の狂いなく差別もなく動いていることが仏であるということなの。それを信じるかどうかなの。つまり、信じる対象が変わってくる。

 

宇宙を理解することは難しい。だって今でも解明されてないんだから。私たちは全部解明することができないし、しなくてもいいと思うけれど、私が思うには自分は宇宙の一部であるという差別のない心になった時点でほぼほぼの苦しみがなくなると思うの。

 

私たちは差別だらけなのよ。あの人の家は小さいとかね。そこは分けなくてもいいのよ。生まれるのが喜びで死ぬのが悲しみというのもそう。人生のスタートと最後という一番大事なところに日本は差別がある。だから物事を差別してみるようになっているのよ。

 

生まれてしまった以上はしっかり生きようね。生まれたからには死ぬんだから当然だねというようなインド流の考えが我々に根付いたとしたら差別はメチャクチャ減ると思うの。だって、人生そのものを差別しているんだからね。お釈迦様の源流(古い教え)を信じている人たちは今でも喜んでガンジス川で死んでいるわけ。何も悲しくない。むしろガンジス川で死ねて嬉しいのよ。次回は生まれ変わらないようにしようね!というような挨拶をして死んでいくわけ。

 

インドはもちろんカースト制度があるけれど、街の人はその人がボロボロの服を着ていても何も気にせず友達なのよ。汚いとかそういうことではないのよ。だから、その光景を見たときにスゴイ!って思ったの。

 

ボロボロの服を着ている人に聞いたことがあるの。『どんだけ努力しても豊かにならない。どんだけ努力しても上の社会には入れない。それってムカつかないの?』って聞いたら、『え?なんで?僕らはみんなそう。今日食べれたらそれでいい。日本は教育がたくさんあるからこそ落ちこぼれもたくさんいるでしょう。その落ちこぼれに入っている人はすごくしんどいよね。僕らは全員一緒だから』って言うのよ。」

 

 

年美さん:「確かにビックリマーク

 

 

 

先生:「『盗まれるものもない。お腹空いたら1つのものをみんなで分けたらいい。蓄えたりするの大変でしょう?そしてそれを盗まれないようにするとか大変じゃない?』ということをサラリと言われた。」

 

 

年美さん:「幸せの価値観がガラリと変わりますね。」

 

 

先生:「すごくショックだったあせる

 

 

今週のラジオ内容はこれで終わりですバイバイ

 

 

私が生まれる前のことなので定かかどうかわかりませんが、終戦後の日本がインドのようにみんな同じように貧しくて、隣の家からお醤油や味噌を借りたり、隣の子供を自分の子供と同じように育てたり、今よりも人と比べるようなことは少なかったのではないかと思います。

 

今は近所(知らない人)に挨拶も気軽にできないし、何かするとパワハラ・セクハラというようなクレームをもらってしまう世の中なので本当に生きづらい世界だなぁと思います。寿命が延びてしまったぶん苦しみも続くわけなので、私は死ぬのは苦しみからの解放だと思っていたので悲しい事だと思ったことがなかったので、今回のラジオを聞いて良かったなと思いました。

 

ゴールデンウィーク中何日もかけて1000ピースパズルを完成させましたチョキ

それ以外のことが全然できなかったけど今まで気がかりだったことが1つ減って良かったです照れ