瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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命の始まりはいつなんでしょう?

 

 

 

先生:「我々は肉体に非常に執着して死んだら色々言うけれど、我々の肉体は一時的にギュッと握った砂の塊であって、また元にど戻る。だから私はあなたでありあなたは私。私は私でありあなたはあなたである。私は全てである。全ては私である。だから体がなくなることは悲しいことではないの。

 

生まれたからといって本当はめでたいことでもない。特に日本は生まれてくるのは喜びであり死ぬのは悲しみと感じる国だと思うの。昔インドに行ったときにすごく衝撃だったのは、インドは今私が例えて言った概念をみんなが理解しているの。だから肉体を持って生きていると言うことと、肉体を手放した状態という区別はインドは持ってないの。だからすごく美しい。

 

もちろん会えなくなってしまうことへの残念さはあるけれど、肉体が消え去る恐怖とか、なんでこんな酷い事を!というような概念が著しく薄い。中には私たちのように愛する人が亡くなって悲しむ人もいるけれど概念が違う。不吉だとかそういう概念が全くない。生まれるからには死ぬということがセットになっている。

 

インドの方に『死ぬことがそんなに辛いと思って泣くなら生まれた瞬間に辛いねって言っといたら?セットなんだから、片方だけを嘆くのはおかしい。死ぬのが悲しいのなら、死ぬことが始まった生まれた瞬間も悲しいのではないですか?』って言われてすごく納得したの。

 

私はまだ修行中だから、やっぱり人が死ぬと悲しいと思う。けれども生まれるということに関しては、昔ほど心からおめでとうと言ってない。これがお釈迦様の輪廻にも関係してくるんだけれどね。輪廻というのは、また生まれ変わって肉体を持って生まれる。生まれたからにはまた、生老病死を体験して死に挑まないといけない。

 

この輪廻という概念は、お釈迦様の専売特許ではなく、お釈迦様も当時いろんな学校に行って学ばれていたんだけれども、その時にお釈迦様が学ばれた概念なの。お釈迦様が生まれるもっと前から輪廻という概念はインドに根付いていて、それをお釈迦様が学ばれて輪廻があるという認識をなさったの。けれど、お釈迦様自身は輪廻するとは言われていないけど、僕の過去生は・・・というような言い方をされているの。」

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

私は昔から子供が生まれたときにおめでとうという事がすごく苦手だった。赤ちゃんを見て、”今から大変だな。頑張れ!”と逆に応援していた。私の考えでは赤ちゃんの時は愛され、歩いたり言葉を多少理解できるようになると親にとっても子供にとっても試練がやってくる。子供が親の悩みの種になることもあれば、親が子供の悩みの種になることもある。身内同士で殺しあうニュースなどを見ているからそう思ってしまうのかもしれない。なので、先生のお話を聞いて自分が変じゃないんだなと少し思えて良かったです。

 

お釈迦様も学校に行っていたというのがびっくりしました。私はお釈迦様は生まれた時から全てをご存知だったのかと思っていました。お釈迦様の先生ってどんな方だったんだろう?と興味が湧きました。お釈迦様よりも前に輪廻という考えがすでにあったとは、昔の人の感性はすごいなぁと思います。