瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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今週は生老病死の生についてです。
先生:「命はどこからが命の始まりなのか?どこが終わりなのか?我々人間は区切りをつけたがる。肉体的には精子と卵子が合体した瞬間が肉体の芽生え。けれど命というかエネルギー体はずっとある。それが肉体を持つかどうか。肉体はまるで城壁の中に閉じ込められているかのように制限がある。
肉体がない私たちは制限がない世界にいるんだけど、制限がある形によって体験できること体験するために一時的に肉体を持っている。肉体の滅亡が命の滅亡ではないの。ここを勘違いしてはいけない。あくまでも肉体が消滅しただけで、そのモノの生命が滅亡するわけではない。
例えば、年美ちゃんは今洋服を着ているでしょう?お風呂を入るために服を脱いだとしても年美ちゃんは死なないでしょう?肉体ということはそれだけのことなの。
明日の年美ちゃんは着物を着るかもしれない。それが違う形をとった年美ちゃんなの。年美ちゃんという中身は着替えはするけれど年美ちゃんだよね?」
年美さん:「肉体を手放した時は三井年美では無くなりますよね?」
先生:「そう。ただ単に宇宙になる。例えば、ここ一面全てが砂で、その中でおもむろに砂をギュッと握りしめてたら砂の塊が一瞬できる。それはそこにあるエネルギーが稠密に重なった瞬間。それをパラパラと払ったらまた元の均等的な距離感を持った砂の世界に戻る。
また何かの瞬間的に一時的な力を加えることによって一瞬お団子のような砂の塊ができる。けれどもその団子はよく見たら砂が密着しているだけのことで、よく見たら砂なの。我々の体というのはそれだけのこと。
例えば、年美ちゃんと瀧本の肉体がなくなり砂の中に戻ったときに、どの砂が年美ちゃんで瀧本だったのかわからない。全部が私。私が全部という感覚に戻るのが宇宙のあり方。パラパラと砂に戻るとそこには合体してしまったから、そこには距離がなくなる。だから時間もなくなる。中心も上下左右という概念もなくなる。全てが中心なのが宇宙なの。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
命の始まりについて考えたことがなかったのでとても面白いラジオだなと思いました。砂の例え話はよくわかったのですが、いつも疑問に思うのが、あらゆる個体は目に見えないスピードで振動しているといいますが、死ぬ=細胞の振動エネルギーがなくなるという事なのかな?と思うので、死んだら肉体が消えてしまうのではないかと思うのですが、肉体が消えないのが不思議だないつも思います。
それにしても、こういう話を2600年前にお釈迦様がお話をされ、それを理解していたのだから昔の人は頭がいいんだなと思います。今の技術があるから宇宙の話を当たり前のように聞けるけど、2600年前の私だったら絶対理解するの無理だったでしょうね。
古代の人の頭の良さには感服です。